産業革命がもらたらすライフスタイルの変化
そして、いよいよ18世紀に入ると、イギリスで世界史上初めて産業革命が起きて、急激な経済成長の段階を迎えます。
産業革命とは、工業化による生産性の急上昇、資本主義の発達、市民階層のライフスタイルの大変化を総合した概念です。イギリスの場合、インドからの綿織物の流入を減らすため、自国生産を目指したことが産業革命のきっかけになったと言われています。後にインドが綿織物の輸出国から輸入国に転じるほど、イギリスの生産力は向上しました。
生産技術の担い手は市民階層であり、王侯貴族ではありません。市民階層の財産権の自由がなければ、イノベーションを起こす動機がありません。つまり産業革命の背景には、市民革命があったわけです。
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イギリス産業革命のいろいろな年表から、主要な発明発見をピックアップし、同時期の音楽史の項目を並べてみました(年表参照)。
古典派からロマン派前期の作品は、イギリス産業革命と同時期に誕生したことがわかります。工業化が遅れていたドイツやオーストリアは古典派の絶頂期にあったのに対し、工業化が進んでいたイギリスではこれといった作曲家が出現せず、もっぱら音楽を消費する側にまわります。
たとえば、富裕な市民が増えているロンドンでは、ドイツ人ながらイギリスに帰化したヘンデルの「生誕100年祭」が1784年に開催されています。これは、世界で初めてのオープンな大規模音楽祭でした。音楽を支えるビジネスの仕組みは、イギリスで発達したとも言えるでしょう。
また、管楽器などの製造も工業化によって大量生産が可能になり、メカニズムも改良されていきます。音律も産業革命期に平均律に標準化されたため、ピアノの生産も工業化が進みました。
そしてトランペットやホルンには、蒸気機関のようにピストンやバルブが付き、半音階が出るようになります。実用化は1820年代の終わりからだったようです。ベートーヴェンは「第9」の第3楽章で、4番ホルンのパートを、バルブ付きで半音階が滑らかに出るようになったホルンを前提にして書いていると言われます(※1)。ピアノのメカニズムの更新については、前述のとおりです。
ワーグナーは、オペラ『リエンツィ』(1840年)でナチュラル・トランペット2本、バルブ・トランペット2本を明確に指定していますし、楽劇『ニーベルングの指環』(1876年に4部作同時上演)では楽器工房にホルン奏者が吹くためのバルブ付きチューバ(ワーグナーチューバ)をつくらせて使用しています。機械工業の発達は、オーケストラの金管楽器の機能を飛躍的に高めたのです。
イギリス産業革命と同時期にあたる、1776年にアメリカ独立宣言、1789年にはフランス革命が起こります。アメリカ独立宣言で「幸福追求権」、フランスの人権宣言で「所有権」が認められ、人々の私的所有権、経済的自由権、財産権が保証されました。
これらの権利によって、資本主義が発展することになります。産業革命で増えた富裕な市民は娯楽を求め、特に豪華なオペラが人気となっていきます。
アジア、アフリカ、中東、インドは、工業化した19世紀のヨーロッパ諸国の植民地となり、生産力が飛躍的に増大したヨーロッパの市場、原料供給地、労働力供給地にされます。日本は例外的に自国で産業革命を成し遂げ、資本主義を導入し、教育では西洋音楽を丸ごと移入します。
大きな利潤を得る成功者の出現が資本主義の特徴ですが、反対に格差が拡大し、貧困層が増えることにもなりました。プロイセンの編集者で哲学者のカール・マルクス(1818~83年)は、生産要素の私的所有を排し、国有化することによって貧困を解消しようという社会主義経済学をまとめます。それが1848年の『共産党宣言』、そして1867年の『資本論』第1巻でした。
1848年にヨーロッパ各地で始まる君主制国家に対する革命運動(諸国民の春)に参加したワーグナーやスメタナがマルクスを読んでいたかどうかわかりませんが、おそらく影響を受けたのではないでしょうか。人々が自身のアイデンティティを投影し、心の支えとした彼らの民族主義的な音楽、とりわけ東欧や北欧、ロシア諸国出身の作曲家は「国民楽派」とも呼ばれます。
※1 佐伯茂樹『カラー図解楽器の歴史』河出書房新社、2008年