「両親は二人とも神奈川の出身です。父が日本歯科大の生物の教授で、新潟に大学ができるとき、移ってきました」

 新潟を第二の故郷にする決意で、家族みんなで転居してきた。だが、新潟で暮らしながらも母親の眼差しは常に東京へ、そして世界へと向けられていた……。

 小学校3年になると、あやめさんは東京の有名なバレエスクール「橘バレヱ学校」に入るよう母親に告げられた。毎週土曜の夕方、東京に向かう。母親と一緒にホテルに泊まり、日曜の朝、富ヶ谷のスタジオに行き、レッスンを受ける。当時、片道5時間はかかった。ゆっくり休む間のない日常。だが、母親の熱意に押され、それが自分の生き方だと疑問を抱かなかった。周りは「まるで美空ひばりの母親のようだ」と評していた。

 小学校5年のときからは日曜の朝早くひとりで通った。埼京線で赤羽を経由し新宿へ。私鉄に乗り換え、最寄りの代々木八幡駅まで行く。

「バレエの荷物は大きいんです。しかも、ひとりで寂しいから大きなぬいぐるみを抱いて通っていました。大宮に着くと、家出少女と勘違いされて何度も補導されました。そのころは携帯電話もないから、警察が母親に連絡が取れるまで時間がかかるときも。すると、レッスンに遅れるわけです。それで、お巡りさんが母親にひどく怒られていましたね」

 あやめさんの10代はバレエとともにあった。

「夏休みは、ずっと東京にいました。バレエをやっていると母親の機嫌がよかったので、自分でも『バレエが好きだ』と思い込んでいました」