その番組では、奥多摩の山奥や瀬戸内海の離島などさまざまな場所で、一般の方のお宅へ取材に伺う機会があったのですが、「◯月×日に、お宅へ行きます」と取材のアポを取ると、みんな家を綺麗に片づけてしまうのです。すると生活感がなくなり「おもしろくないな……」と感じたことが、たびたびありました。

普通の常識人として、「客人が来る際に家を片づける」というのはあたりまえのことなのですが、取材者としては一抹の物足りなさを感じたのです。リアリティのある、本来の生活感あふれる素のままの家は、アポを入れたら、決して撮れないのです。だからこそ、短時間取材であることを逆手にとって「いますぐ」ついて行く。そうすると、取材対象となる人が「出演者」として準備する時間、言い換えれば自分を演じる準備をする時間を極力減らすことができます。

「部屋を片づける」という行為は、自分を演じる行為の一種です。「部屋を片づけて、何を言うかじっくり考えて撮影に臨む」という行為は、その準備期間が長ければ長いほど、「演じる準備期間」が長いということにもなると思うのです。

それがほぼできない、「即興だからこそ描ける、市井の人々のリアルな生活」が、この番組では表現できるのです。これこそが、この番組の「いままでにないおもしろさ=価値」だと思います。

『家、ついて行ってイイですか?』のやり方

しかしこれは、ただ単に、それまでドキュメンタリーの手法であたりまえとみなされてきた、「長期密着こそいいものだ」という価値を真っ向から否定しただけです。

だから、もし「見たことないものを作ろう」と思うなら、そのジャンルをじーっと観察して、それまでは気づけなかった「あたりまえだ」と受け入れているルールや基本構造を発見することが、第一歩になるのだと思います。

でもこれは、「じーっと」観察してみないと、見えてこないかもしれません。なんせあたりまえと思われているので。

でも、その常識が自明とされていればいるほど、そのジャンルの「基本中の基本」だと思われているほど、それを否定した時のインパクトは大きくなります。

なぜなら、誰も、それを覆そうなんて思いもしないからです。