しかし、多くの男性がエロ動画のストーリー部分を早送りするように、本能に訴えかけるコンテンツは、例外的にストーリーがなくてもコンテンツとして成立するのです。
けれども翻って、それ以外のほとんどのジャンルでは、必ず「ストーリー作り」が必要だということになります。
では、そのストーリー作りとは、先ほどの(1)取材対象者、(2)ディレクター、(3)視聴者の、誰が行うのでしょうか。
(1)の取材対象者がストーリーを作れるのは、タレントなど本人が表現者である場合です。一般企業で言えば、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクや孫正義のように、経営者やプロジェクト責任者自身が「表現者」として才能がある場合が、当てはまるかもしれません。彼らは、自分を魅せるプロです。ディレクターがストーリーを作らなくても、自らが見せたいように自分を見せられる。「自分に関するストーリー作り」に長けています。
こうした場合にディレクターがやることは、むしろ本人が見せようとしているストーリーにおける「虚」を見抜き、いかにその裏側にある「実」に迫れるかにかかっています。とはいえ、そもそも「魅力」をアピールすることがうまい人たちなので、比較的苦労は少ない。
しかし、一般の方を取材する『家、ついて行ってイイですか?』のような番組の場合、そうはいきません。ごくまれに、天性の才能で自分の見せ方に長け、自分の人生をよく解釈してストーリー化することに長けた一般の方がいますが、たいていの方の場合は、「物語」のプロではありません。ですので、取材対象者自身に頼ってシーンや事実をストーリーとして構成するだけでは不十分すぎます。一般企業でも、ほとんどの場合、スティーブ・ジョブズや孫正義はいないでしょう。
では、(3)視聴者や消費者に、いきなり「ストーリー」の発見を委ねるというのはどうでしょうか。
結論から言うと「非現実的」であり、そもそもそれは作り手としての自己否定です。
というか、視聴者や消費者の皆さんは、そんなにヒマではありません。
ぼくのようなテレビ作りで言えば、日々の仕事もあり、家事もあり、育児もある中のわずかな時間をぬって、スマホや書籍などといったライバルを押しのけて、テレビという箱にほんのわずかな時間向き合ってくれているにすぎません。
ですから、膨大な事実が垂れ流されているような番組を、脳に負担をかけて解釈するような時間的余裕なんて、なくてあたりまえです。仮にそういうことがしたいというガッツのある方がいても、その方はそもそも「テレビ」という箱を通さずとも、まわりの社会や人間関係を観察し、解釈し続けることで、同じ目標が達成できます。わざわざテレビというツールを使う必要はないのです。
だからこそ、(2)ディレクター、つまり「作り手」が、シーンや素材の意味や魅力を、なるべく引き出し、解釈をして、「ストーリー」として構築する必要があるのです。
事実は、ストーリーになって初めて、共感、拒絶、感動、号泣、「応援したい」「誰かに紹介したい」「励まされたい」といった、さまざまな感情を感じてもらえたり、時に自分の人生や社会を考える問題意識を育む一助となったりするのです。
もちろん、こうして作り手が描き出したストーリーを、さらに(3)の視聴者がさらに、どういうストーリーとして解釈するかも大切です。作り手の描いた通りに受け取っていただく必要はありません。それはあくまで、作り手が感じた仮説でしかありません。むしろ、シーン・事実のまったくの羅列ではないものの、視聴者にストーリーの解釈を大幅に委ねるようなストーリー作りも多く存在します。
いちおう断っておきますと、どうしても通常の日本語で「ストーリー」というと、小説やドラマのようなフィクションを想像してしまうかもしれませんが、そうではありません。
詳しくは、長くなるので、本書をご覧いただきたいのですが、ノンフィクションのジャンルにも、すべてストーリーは存在します。現実世界を受け手が直接受け取った時点で、過去の記憶や経験に照らしてどう解釈するか、という自分の頭の中での作業から決して免れることはできません。
すなわち、現実世界はすべて「ストーリー」として認識されているという根本をまずお伝えしておきます。
そして、ストーリー作りや、見えない魅力を掘り出す方法は、たとえば、PRする製品の背後に隠された魅力や、営業する製品の誰も知らない魅力を発見して伝えていく作業と、本質的にまったく変わりません。企業活動とは、ストーリー作りそのものですから。
結婚相手の本性を見抜く技術としても使えるかもしれませんし、自分の人生とはなんだったのかを経験してきた事実に基づき、意味付けし、その魅力を発見し、伝えていくという意味では、就職活動の自己分析という作業も、本質はまったく変わりません。
仕事も、プライベートも、就活も、本質はすべて「事実のストーリー化」で成り立っています。
しょうもない話を1つだけしておくと、自分がまだ若い頃、埼玉にある、とある大学に通っていた彼女がいました。ちなみにこの時ぼくは20代です。大学生と付き合ってもキモくない年齢だったことだけ言い訳しておきます。
付き合ってほどなくして、彼女が就活に突入し、自己PRや自己分析の相談を受けました。そこで、ちょっと変態かと思うくらい徹底的に彼女の人生と行動の動機に質問をぶつけ、彼女の人生の魅力とは何かを話し、研究し、人生をストーリー化しました。
結果、彼女いわく、彼女が通っていた大学では初めて電通に入社しました。
もちろん、彼女にそれだけの能力と魅力があったから突破できたのですし、ドラゴンボールのフリーザ編で、ナメック星の最長老がクリリンの潜在能力を最大限まで引き出したように、彼女自身が持っていた人生の意味や魅力を引き出す手伝いをしたにすぎません。
しかし、自分の人生にしろ、自社の製品にしろ、「ストーリー化」、つまり「事実を解釈して魅力を最大限に引き出す」というのは、それほど結果を劇的に変える力を持っています。
そして、そもそもせっかく魅力を持っているにもかかわらず、その魅力をすべて引き出し切らないなんて、とてももったいないと思います。それは、人生においても、仕事においても、VTR作りにおいてもです。ディレクターとは、ひと言でいえば、「物事の魅力を引き出す職人」なのです。
事実やシーンをそのまま提示するなら誰が作っても差異はないのですが、それを解釈しストーリー化するという段階を経ると、それは世界に1つしかないものになります。
たとえば、Aというチョコレートと、Bというチョコレートがあるとします。
見た目や味はあまりかわらなかったとしても、ひょっとしたら、その背後にあるそのチョコレートが開発されるまでの開発秘話や、開発担当者の思い、さらに彼が背負っているものまで消費者に思い描いてもらうことができたBというチョコレートは、それはまったく別物で、見たことのない、世界に1つだけの製品として消費者に受け取ってもらえるはずです。