「1秒単位」で消費者の心が離れていく時代。だからこそ、PR動画もプレゼンも文章も営業トークも、「1秒でつかみ、1秒も飽きさせない」ことが、売上に直結する。今日から始まる2019年は、さらにその傾向が加速する年になるだろう。
『家、ついて行ってイイですか?』『吉木りさに怒られたい』などの仕掛け人で、テレビ東京制作局ディレクターの高橋弘樹氏が、1秒で「惹きつけて」、途中1秒も「飽きさせず」、1秒も「ムダじゃなかった」と思ってもらえるコンテンツの作り方全思考・全技術を明かした新刊『1秒でつかむ「見たことないおもしろさ」で最後まで飽きさせない32の技術』が、発売早々大絶賛のコメントが続々集まっている。
本記事では、「興味がない人」に興味を持ってもらうための、誰にでもできる方法を、いくつかの事例とともに特別公開する(構成:編集部・今野良介)。
「なぜ?」をひたすら掘り下げると……
ぼくが作っている『家、ついて行ってイイですか?』という番組に登場する方々は、決して聖人君子ばかりではありません。
・若い頃に遊びすぎて、家庭を壊してしまったおじいさん
・仕事になじめなくて、会社をやめてしまったおじさん
・チャラい飲み会に興じる女子
・ゴミ屋敷おじさん
・出会い系をしている人
・街の変なおじさん
などなど、どちらかというと、ネガティブな要素をもった人々も多く登場します。
また、ネガティブではありませんが、
・液体窒素大好きおじさん
・首輪をつけられたがるドM女性
・美少女ゲーム大好きおじさん
・蜂大好きおじさん
・ブリキのおもちゃに2000万円かけた男
などなど、一瞬ちょっと「?」と思う嗜好・価値観を持った方も多く登場します。
では、どうやって、そういった方々の一見ネガティブな、もしくは、なかなか世間では理解されづらい「内づら」の魅力を探ったらよいのでしょうか。
それが、「ひたすら『なぜ?』と突き詰める力」です。
たとえば、『家、ついて行ってイイですか?』で出会った29歳の女性の話です。
深夜の池袋で出会ったのですが、出会った時には、すでにベロベロ。片手に缶チューハイも持っていました。しかも、靴が片方壊れていました。
なぜ? (1)
ヤケになって御茶ノ水から、池袋まで歩いてきたのだそうです。
なぜ? (2)
男にすっぽかされた。出会い系サイトで約束をし、待ち合わせていたそうです。
なぜ? (3)
出会いがない。
なぜ? (4)
いま休職中だからだそうです。
なぜ? (5)
家に行くと、お父さんとおばあさんが寝たきり。
2人の介護をひとりで担っているそうです。
なぜ? (6)
祖母と父が死んだ時、「私に看取られて幸せ」と思って死んでほしいから。
なぜ? (7)
父と祖母を、愛しているから。
……でした。
ベロベロであることも、出会い系を利用していたことも、どちらかというと、ネガティブな印象でしたが、「なぜ?」を突き詰めて理由を丹念にたどっていくと、最後にはまったく印象が変わりました。
いま、下流から上流に向けて原因・動機をさかのぼっていきましたが、これを、上流から下流に、時間軸通りに戻してみます。
・介護が大変すぎて仕事を辞めざるをえなかった
・仕事をやめると、社会とのつながりが完全に断たれてしまった
・普段は介護で忙しく、外で遊ぶ時間もあまりない
・だから、出会い系くらいしか出会いがない
・飲みに行けるのも月1回ほど。今日は本当に「たまの息抜き」
・だからこそ、すっぽかされたのが悔しかった
・それゆえ、御茶ノ水から池袋まで酒飲みながら歩いた
ということになります。
つまり、「なぜ?」と動機を突き詰めれば、
「出会い系を利用していたのは、父と祖母への愛情からきていた」
「ベロベロになるまで酔っ払っていたのも、父と祖母への愛情からきていた」
ということになります。
正直、ぼくは、それまで出会い系に偏見を持っていましたが、彼女の話を聞いて、その価値観を一気に崩されました。
人間は、どんな行為でも、動機をたどっていくと、誰しも持っている普遍的な感情に行きあたることがほとんどです。たとえば、別の『家、ついて行ってイイですか?』の回で、渋谷で「結婚してください」という看板を持って立ち続ける50代のおじさんがいました。
「外づら」だけ見れば、完全に「街の変なおじさん」です。しかし、このケースもまた「なぜ?」とずっと掘っていったところ、ガラッと印象は変わりました。
・なぜ結婚したい?
「90代になる両親に孫を見せたいから」
・それはなぜ?
「昔は学級委員になるタイプで関西大学に進んだ。その頃は可愛がられ、『自慢の息子』だった。だが30代になって働けなくなり、自慢の息子ではなくなってしまった」
・なぜ「自慢の息子」ではなくなった?
「政治家の秘書のような仕事をしていたのだが、選挙に際して違反行為をするよう指示された。でも、自分はできなかった。にもかかわらず検察に取り調べられた。まわりは逮捕されたが、自分はされなかった。でも、まわりの秘書仲間からは、『なぜお前はやらなかったんだ』と冷遇されるようになった。それから、恐怖でしばらく仕事がうまくできなかった」
・でも、なぜ、看板を持つという方法を?
「昔から、歯並びの悪さがコンプレックスで、女性とうまくしゃべれなかった。どうやって、歯を見られないようにするのかを考えてしまう。でも、この看板という手段を考えついてからは、積極的にアプローチできるようになった。だから、わたしはこの手段でやり続けるんです」
どうでしょうか。
一見すると、街にいる変わったおじさんですが、よく聞いてみると「結婚しよう」という看板を持って立ち続ける理由は、
・両親に対する愛情
・「両親に認められたい」という気持ち
・それは、「職場内での理不尽な処遇」からきている
・そして、顔へのコンプレックス
どれも、誰もが経験する、普遍的な感情が動機ではないでしょうか。
ブリキのおもちゃに入れ込んでいたおじさんは、現役時代は船乗りさん。子育てに参加できず、ブリキ人形を風呂に入れたり、失われた子育ての時間をとり戻しているかのようでした。
ネガティブと思われる「内づら」も、ちょっと人には理解されない特殊な「内づら」も、「なぜ」と掘り続けると、たいてい深層では……
・子どもに対する愛
・ 子どもの頃に満たされなかった欠落感(母子家庭で、父がいないなど)
・容姿のコンプレックス ・お腹減った ・自信がない
・人に認められたい ・死への恐怖
・病気への恐怖 ・嫉妬 など
といった、誰もが持っているところに行き着きます。
それもそのはず、人間の動機は、サバンナにいた頃から、「死への恐怖」と「自己複製」という根本的なベクトルに規定されているからだと思います。
その「根本欲求」から、どのような人間の個性(内づら)が作られるかは、樹形図のようにさまざまな経路をたどり、多種多様な形で花開きます。
その細かく分かれた枝の先っぽが、たとえば「出会い系」という形だったり、「看板を持って婚活」だったり、ときに「不倫」だったり、「喧嘩」だったりするのです。でも、それらはたいてい、突き詰めていくと、誰しもが持っている欲求にいきあたるのです。
人は、他人を7つの段階で評価している
人間は、他人への評価として、下図のようないくつかの段階を持っていると思います。
ネガティブな「内づら」でも、その魅力を探って伝えることができれば、受け手は深くまで知らなかったがゆえに、(6)拒絶や、(7)攻撃にあったものが、(5)の理解、(4)の許容になったりする。
受け手にこうした「価値観の革命」を起こせるのが、「裏切りの力」なのです。
ちなみにこれはあくまでぼくの私見ですが、下世話だったり、ダメだったり、時に過ちをおかしたり。そうした人たちを、ただ非寛容な態度で叩いたり、軽蔑したりするだけの社会は、息苦しいし、味気ないと思います。
「なぜ、それをしたのか」。とことんそこに興味があります。
肯定はしなくてもいいんです。ちょっと許容できたり理解できれば、それは素晴らしいことなのではないのでしょうか。一瞬「?」となるような趣味の方のカテゴリーはそのままでいいのですが、ネガティブなカテゴリーのほうに関していえば、拒絶や攻撃をしていても、いつまでもそうした問題の本質は解決できないからです。
「なぜ?」と、問いかけて、関係者や社会がその「動機」に向き合うことが、解決への近道だと思います。
ここでは、ノンフィクションの場合について説明しましたが、フィクションでも、魅力的な作品はすべて、ここがしっかりしているのではないでしょうか。
先日、ディレクターと話していたときに、彼が「東野圭吾が好きだ」と言いました。ぼくは、いつものくせで、「なぜ」と聞き返しました。すると、そのディレクター曰く、
「東野圭吾の作品は、犯人にもしっかり動機がある。だから、犯人でさえ愛せるんです」
なるほど、と思いました。
動機を突き詰めて描かれているから、犯人でさえ愛せる。その通りだと思います。どんなものも「なぜ?」と探れば、その動機は誰もが持つ人間の遠い記憶からくる感情によります。
だから『家、ついて行ってイイですか?』では、その人がせっかく披露してくれた「内づら」を、犯罪行為以外、決して非難するようなことはありません。
「なぜ?」と耳を傾けます。そして、ただ「あるがままに」というエールを送るだけ。
だから、最後にかかるのです。
「Let it Be(あるがままに、そのままでいい)」と。