『水滸伝』『楊令伝』『岳飛伝』と続く「大水滸伝」全51巻を、17年かけて書き上げた北方謙三氏。それから2年、チンギス・カンの激動の生涯を描く『チンギス紀』の執筆を開始した。執筆秘話から理想のリーダー論まで、北方氏が存分に語る。
――17年にわたって執筆されてきた「大水滸伝」を書き終えて、どんなお気持ちでしたか。
何もなくなって、もう小説を書かないのかなと思ったんですよ。例えて言えば、月の表面に立っている感じ。草も水もないような。
長期にわたって書き続けていると、本当に終われるのか不安になってくるんです。それが51巻できちんと終わることができた。やっと終われたなっていう気持ちが強かったのかな。それで、どうしようかと立ち尽くしていた。
でもそのうちに、立ってるだけじゃつまんねーから歩いてみるかと。そういう衝動が出てきて、次の小説を考えてみようと思いました。だから、大水滸伝51巻を書き終えて、それでもまだ力を出し切ってなかったんだと思います。そもそも、生きている間っていうのは、力を出し切るということはないんじゃないかな。明日になれば明日の力がある。ゴールはない。因果な商売です。
――『チンギス紀』の構想はいつぐらいから頭にあったのですか。
小説家っていつも伏線を張るんですよ。伏線は回収できるかどうか分からないんだけど、取りあえず張ってみる。『岳飛伝』の最後の方で、吹毛剣(注1)はモンゴルへ行くんですね。そこで『水滸伝』のある部分とつながっている。ですからそこでもういろんなことを考えてはいるんです。それぐらいの関連性っていうのは実は他のところにもちょくちょくある。ただ、チンギス紀を書くと決めた時点で、他の伏線は全部捨てた。ちょっと未練たらしくなりますからね。
注1)楊令が父の楊志から受け継いだ楊家に伝わる剣。楊令の息子、胡土児と共にモンゴルに渡る