水滸伝は中国の有名な伝奇小説だ。完訳水滸伝(岩波文庫)で読んだ。
水滸伝は、舞台は12世紀初頭。北宋の徽宗皇帝の頃、山東の梁山泊という水郷に108人の英雄たちが集まり、宋江を中心に、悪代官などをやっつけるという壮大なスケールの物語。しかし、最後は、宋江が皇帝に忠誠を誓うあまり、ずるがしこい皇帝の大臣たちにいいように使われ、困難な戦いに派遣される。そして英雄たちは次々と死んでいく。ようやく戦いが終わり、宋江たちはのんびりとした暮らしができるのかと思うと、悪い大臣の手によって毒酒を飲まされ、殺されてしまう。
最後は、哀れで、読むに堪えない気持ちになってしまう。中国人は、義に忠実に生きた人間を讃えつつも、そういう人間は結局悲劇に陥り、最後に笑うのは、悪い大臣だと思っているのだろうか。
結末は、悪い奴ほどよく眠る、といった具合ですっきりしないのだが、この水滸伝は、ある意味で「論語」的世界を体現しているように思える。
剛毅木訥(ごうきぼくとつ)
どうしてそう思うかというと、主人公の宋江が、実に「仁」「義」を重んじる中庸の人物で、バランス感に富んでいるからだ。けっして本人は喧嘩が強いというわけではないが、慈悲深く「仁」の人間で、約束を死守しようとする「義」に篤い人間として描かれている。
もう一つは、108人のうち序列22番目の黒旋風李逵(こくせんぷうりき)という人物の存在だ。
李逵は、
「子曰はく、剛毅木訥は仁に近し」(子路第十三)
(人の気質には、剛といって強くて何物にも屈しないものがあり、毅といって忍耐力が強くて操守の堅固なものがあり、木といって容貌が質樸で飾りのないものがあり、訥といって口を利くことが下手で遅鈍なものがある。この四つは皆、室が美しくて仁にちかいものである)(論語新釈・宇野哲人著・講談社学術文庫)
という言葉が、実にぴったりとくる男なのだ。
訳では、剛毅木訥を4つの気質に分けて説明しているが、私は分けることはないと思う。剛毅木訥とひとつで考える方がイメージしやすい。要するに頑固で、一本気で、不器用な生き方しかできないが、正直で忠実な人物ということではないだろうか。
私は、水滸伝で誰が魅力的な英雄かと問われれば、この李逵をまず挙げたい。水滸伝には、多くの英雄が登場するが、まるで宋江と李逵の物語だといってもいいくらいだ。