・妻と子どもが出て行ったあとも、そのままになっている娘の部屋
・そこには、娘と原宿に買いに行った何気ない人形が、まだある
・
それだけでない、娘が小さい時、家族旅行で海に行って一緒に拾った貝殻が、瓶につめられたものも、勉強机にそのまま飾ってある
・リビングには、娘が小さい時くれた「お父さんありがとう」という手紙がある
こう描いてから、
「離婚して、もう子どもと会えないんです」
ときたら、どうでしょう。
……すみません。自分で書きながら泣きそうです。ぼくは。
「会えなくなって悲しい」ということを描くなら、「会えなくなる前の楽しい思い出」を、主人公の頭だけでなく視聴者の頭の中にも共有してもらわなければ、この男のストーリーの喪失感を、一緒に体験することはできない。
つまり、ストーリーに「没入」できないんです。
この「没入感」こそ、「ストーリー」を継続して観てもらう技術でもありますが、さらにそれを超越して、「最後まで見て納得してもらう」ための大切なポイントだと、ぼくは思います。
何かを「失った」悲しみを体験するなら、失う前に得た喜びの体験が必要です。
それだけではありません。逆もまたしかりです。
大学受験に受かって泣いている人物の「喜び」を体験として擬似共有させたいなら、大学受験に受かって喜んでいるという「結果」の、「原因」の体験も擬似共有してもらう。
たとえば、
・天文学者になるため、小さい頃から読んできた本だらけの部屋
・
小学校のとき書いた作文に「おおきくなったら、てんもんがくしゃになりたい」
・マーカーで線をひいた痕跡だらけの受験参考書
これを視聴者に見てもらい、体験を擬似共有してもらった上で、
・受験に受かって本当に嬉しい
と、いうような形です。
「獲得した喜び」(結果)を体験してもらうなら、「獲得のために費やした時間の長さ」(原因[1])や、「獲得する前の努力」(原因[2])を体験する必要があるのです。
何かを「得た」喜びの体験を擬似共有するには、そのために「費やしたもの」や「犠牲にしたもの」(=失ったもの)の体験を擬似共有しなければならないのです。
ストーリーの構成技法には、「起→承→転→結」や「序→破→急」が知られています。もちろん、これらの技法は必要ですし、詳しく学びたければいくらでも参考書が出ています。
しかし、ぼくは「人の感情を揺さぶる魅力的なストーリー」を描く、という目的だけを考えるなら、
「“原因の体験”の擬似共有→“結果の体験”の擬似共有」
この2幕構成を強く意識するべきだと思います。
もちろん、この構造は、「起承転結」や、「序破急」と矛盾するものではありません。並存するものです。
そして、少しだけ話を続けます。
ここで説明した「体験を擬似共有してもらうこと」の目的は、「最後まで見て納得してもらう」こと。そして、「また次も見たい」という「連続性」へ繋げていくことです。
映画や文章なら、もうこれで十分かもしれません。しかしテレビなら、あともう1つだけ、やったほうがいいことがあります。
それは「再体験」です。
ぼくなら、先ほど紹介した、
・妻と子どもが出て行ったあとも、そのままになっている娘の部屋
・そこには、娘と原宿に買いに行った何気ない人形が、まだある
・
それだけでない、娘が小さい時、家族旅行で海に行って一緒に拾った貝殻が、瓶につめられたものも、勉強机にそのまま飾ってある
・リビングには、娘からもらった「お父さんありがとう」という手紙がある
・「離婚して、もう子どもと会えないんです」
というストーリーの構成のあと、最後にもう一度、
・勉強机の上に置いたままの、貝殻の小瓶
(=振り返り)……パターン1
・
「これ見てください」と言って取り出した通帳。
「いつか娘が嫁に行く時のために貯めているんです。
いつの日か、これを渡せる日がくるかもしれないから……」
(=「原因」の中で、未使用のシーン)……パターン2
のどちらかのシーンを入れます。
なぜなら、テレビは途中から入ってくる視聴者の方もいるからです。
さらに、初めから観てもらっている方に、本当に「ストーリー」の真の意図を理解してもらったり、体験の効果を高め「最後まで観てよかったな」とより確実に思ってもらうには、実は、もういちど頭から観て、それらの意味のあるシーンを振り返ることが、最も効果的です。しかし、なかなか、そこまでしてくれる方は多くはありません。
だからこそ、象徴的だった1~2カット(パターン1)、もしくはまだ使ってはいない原因のエピソードを1シーンだけ(パターン2)、最後に差し込みます。
そうすることで、ずっと観てくれた人も、途中から観てくれた人も、よりしっかり「結果」の体験の擬似共有ができるようにするのです。