まず、1995年の震災で人口が減少したものの、その後回復し、さらに増加が続いている地域に注目しよう。神戸市では、中央区と東灘区をはじめとする数区が該当する。

「住みたい街」として人気の三ノ宮エリアを含む中央区では、いったん大きな人口減少が見られたものの、1997年から1998年を底として増加に転じ、震災から9年後の2004年には1994年水準と同等になった。その後も人口増加は続き、2014年に至っている。

 1995年から1998年にかけて転出した人々は、1999年以後に転入した人々とは重ならない可能性もあるが、「災害による被害を克服し、イノベーティブな復興を」という希望は、人口推移を見る限り中央区では現実となっている。

 もっとも、人口が最も速く1994年水準に回復したのは東灘区で、回復は震災から5年後の2000年だった。その後も2014年まで、微増が続いた。

 いずれにしても、「復旧」を超えた「復興」の可能性は、5~10年を目安として、人口の回復によって判断できることになる。若い世代や子育て世代を増加させることに成功すれば、さらなる経済成長も期待できる。

人口減少が語る
「被災格差」の残酷さ

 一方、神戸市長田区では、1995年の震災後に人口が急減し、2000年には1994年の80%となった。その後、2005年頃までは横ばい、2009年からは減少が目立っている。2014年時点では、1994年の75%まで減少していた。

 1995年の阪神淡路大震災をリアルタイムで経験した人々は、広い範囲で火災が続く映像を記憶しているのではないだろうか。老朽木造家屋が多かった長田区では、家屋の倒壊が多く、火災も拡大した。神戸市では約7000棟の家屋が全焼したが、そのうち約70%が長田区に集中していた。