「週刊ダイヤモンド」を逆引きし、連載では1960年代までたどっているところだが、東日本大震災に苦しむいま、1995年1月17日に起きた阪神大震災(★注1)を題材にしたレポートを再読してみる。あれから16年経ち、人々の記憶もやや薄れかけている。(坪井賢一)
福島原発事故に生かすべき
チェルノブイリ「2つの教訓」
本題に入る前に、筆者が3月14日に書いたDOL特別レポート「福島原発震災 チェルノブイリの教訓を生かせ」について補足しておきたい。
このレポートを書いたのは1号機建屋が水素爆発で吹き飛んだ直後である。その後、2、3、4号機のすべてが損傷しているので事態はより悪化しているが、レポートの論旨に変更はない。
筆者は第1のチェルノブイリの教訓としてこう書いた。
「まずは30キロ圏内からの脱出を準備すべきだ。この距離の根拠はチェルノブイリの経験である。重大事故の場合はまず30キロから脱出。このチェルノブイリ基準くらいしか人類に経験はない。」
あれから約3週間経過して、政府は20-30キロ圏を「自主避難」にした。自主避難では政府として無責任だ。30キロ圏内を立ち入り禁止、30キロ圏外でも局所的に放射線量の多い北西地域は避難するしかない。政府・電力会社は責任をもって住民を保護し、避難を実行しなければならない。
第2の教訓。「政府は今後、放射性物質の検査を各地で頻繁に行ない、すぐに公表すること。すでに大量のセシウムやヨウ素が飛散したという前提で行なう必要があるが、飛散による被爆の危険性は30キロ離れれば問題ない。しかし食物に入り込むとはるかに広域へ拡散することになる。風評被害が起きる可能性があるが、これを避けるためにも検査の充実と公表の迅速さが求められる。」
以上は3週間前の指摘だ。もっとメッシュを細かく、検査の時間間隔を狭くしてヨウ素とセシウムなどの核種検出検査を定期的に行ない、即時に発表すべきである。できれば一日2度の水道水検査を行ない、即時に公表すべきだ。放射性物質は次々に食物を移動していく。
建屋水素爆発による飛散の影響は、次に食肉や加工食品に現れるだろう。粉ミルクの検査も望みたい。これがチェルノブイリ第2の教訓である。不要な風評被害を避けるためにも必要である。
さらに補足。政府は別途、10年間の工程表を作成し、現在の大危機を乗り越えたあとの長期的な原発災害避難住民の生活プランを発表しなければならない。また、「放射能予報」を「天気予報」のように発表する体制も必要だと思う。
★注1 「阪神・淡路大震災」を、通常、短縮して「阪神大震災」とするが、当時、「関西大震災」と呼ぶマスコミも多くあった。「週刊ダイヤモンド」もその一つ。