そうしたユニバスの準備状況を知っていたので、スポーツ庁から「ユニバスの設立に力を貸してほしい」という依頼があったとき、最初は断ろうと思っていました。しかし、官僚の方からの度重なる要請もさることながら、ユニバスの準備状況を理解していることに加え、せめてローズボウル・スタジアム視察時に思い描いた将来の大きな絵を実現できるようなアイデアと組織案を提供すべき参与という立場にあるという義務感から、主査という立場で関わることにしました。

 私は予定通りにユニバスを設立しようとするなら、産業界から優秀な人材を招聘して、柔軟かつスピーディーに話を進めていく必要があると関係者に何度も話をしました。しかし、その話はほとんど聞き入れられず、18年5月にスタートした作業部会での議論も遅々として進展しませんでした。

 その後9月になって、「ユニバスのトップを務めてほしい」という話が鈴木長官からありました。ポジションに対する意欲はありませんでしたが、トップという立場ならベイスターズや野球界の改革で得た知見や経験を、ユニバスの設立準備の遅れを取り戻すことに生かせるのではないかと考え、鈴木長官からの要請に応えようと思いました。しかし、それ以降、次第に鈴木長官のトーンが変わっていきました。

鈴木スポーツ庁長官の変化

 少しさかのぼりますが、ユニバス設立の動きがスタートしたのは、「大学スポーツのビジネス化」というビジョンを政府が掲げたことが発端でした。16年6月の日本再興戦略において、政府は15年に5.5兆円だった国内スポーツ市場の規模を25年までに3倍超の15兆円に拡大するという目標を掲げたのです。そこで自民党の議員連盟であるスポーツ立国調査会が、これまでまったく手が付けられてこなかった大学スポーツのビジネス化に着目したのです。そこで手本とされたのが年間約1000億円もの収益を稼ぎ出すNCAAでした。

 大学スポーツのビジネス化というテーマは、私の考えとも一致していました。だからこそ鈴木長官の求めに応じたのですが、長官は徐々に私のような新参者を疎んじる、大学スポーツ業界関係者間の協調性を重視するようになりました。対談した際から鈴木長官がしきりに強調していた「曖昧がこの国では好まれる、協調性が大切だ」という言葉の裏には、それぞれの既得権者の立場を尊重して、あつれきのないように物事を進めなくてはならない──そういうメッセージが込められているように思えました。