私をユニバスのトップにという要請には、ベイスターズをはじめとするさまざまな改革の実績が評価されてのことだと思います。変革に必要と考えれば既得権者や古い体制側とも戦いますし、対立しても結果で本質的な協調性を成し遂げてきたことも周知の事実です。鈴木長官の発言や態度の変化は、大学スポーツ界における一部の声の大きな人たちからのあつれきを恐れ、そういった方々の内輪の協調性を優先されてしまったとしか捉えることができませんでした。

ユニバスのトップ就任を断った理由

 改革は誰のためのものでしょうか? 誰のための新しい組織、システムづくりなのでしょうか? それは、学生アスリートのために他なりません。高度経済成長期から時代や環境は大きく変わり、大学スポーツのあらゆる現場で問題が噴出しています。悪質タックル問題で注目された日本大学のガバナンスなどは氷山の一角にすぎません。改革が必要なのは一目瞭然です。どうしたらユニバスが改革のできる組織になるか、腹を据えるべきなのはまず誰なのか? 疑念にさいなまれるようになりました。

 ユニバスのトップは私がやるべき仕事ではない、そう思うようになりました。実績ではなく立場で、未来ではなく過去でしか語ることができない関係者を相手に、調整のみを繰り返すことになるのは明白でした。

 私は球団の改革を成し遂げ、歴史ある野球界での改革を仕事としてきた人間です。「摩擦を避けながら、うまくやっていきましょう」では、改革は絶対に成功しないことを肌で感じてきました。改革では最初から関係者の意見が一致するはずはなく、一つの方向に歩みだそうとすれば必ずあつれきが生じます。調整と毀誉褒貶で物事が進む世界の改革で、リーダーが摩擦を恐れ、協調に流されるようでは、改革を成し遂げることなど不可能です。

 私は、鈴木長官からのオファーを断ることにしました。

ユニバスの理念から消えたもの

 19年3月に立ち上がったユニバスですが、その中心に掲げられているのは、大学の部活動におけるパワーハラスメント・モラルハラスメントを排除し、大学スポーツの安全・安心を守っていくという理念です。確かにこれは大事なことです。しかしそれだけでは、ユニバスは中体連や高体連と同様に、「統括」するための団体となるのではないかと思います。強いて加えるならば、学生アスリートなどを大々的に表彰するといった機能でしょうか(私が主査として担当していた領域ですが、私が思い描いていた以上のものは最低限実現していただきたいものです)。これは大学スポーツが発展していくための役割としては、かなり限定的なものとなるでしょう。