人と違うことをやる、リスクを取ってでも新しい道を行く──。イノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきて、そのたくましさを得たのか。今回は、東京大学医学部から文学部に転じ、小説家として文藝賞を受賞、その後、プログラミングや事業開発に携わり、行政手続きのIT化で起業した石井大地さんです。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」論説委員 深澤 献)

東大理3合格が死活問題
学費は受験本の出版で稼ぐ

イノベーターの育ち方 石井大地氏
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──小学生のころから東京大学を目指していたそうですね。

 そうです。物心ついたころ、父に「大学ってなあに」と尋ねたことがあります。父は秋田県の職員で、早稲田大学の出身なのですが、「日本には大学が二つある。東大と早稲田だ。お父さんはそのうちの早稲田を出ていて、唯一、その上にあるのが東大だ」と言われて、だったら自分は東大に行こうと思ったのが最初です。

 5、6歳のとき、父に東京に連れていってもらい、東大の赤門の前で写真を撮りました。それでなおさら憧れを持ち、行ってみたいと思うようになりました。

 成績は良かったです。小学校3、4年のころには、塾のテストで秋田県で1位になったこともあります。中学受験では秋田大学附属中学のほか、東京の麻布中学にも合格しました。校風が好きで受けたのですが、中学から東京へ出ていく自信が持てなくて、秋田に残る代わりに「シンセサイザーを買って」と親にねだりました。ちょうど小室哲哉さんが活躍していた時期で、作曲家に憧れていたんです。

──麻布は中高一貫校で、高校では新入生を募集しません。

 それで、開成高校を受けました。二つ年上の姉は東京学芸大学附属高校に通っていたので、私もそこも受け、両方受かって悩みました。普通は(学費の安い)国立の学芸大附属を選ぶのでしょうが、そのときには東大の中でも理3(医学部)に現役で入るというのが頭にあったので、トップの集団に入るという選択をしました。