三菱・三井・住友財閥グループの真実#5

三大財閥グループの今を大解剖する「三菱・三井・住友 財閥グループの真実」特集。第5~8回は「同業種の宿敵対決」シリーズをお届けする。初回となる今回は商社を取り上げた。(週刊ダイヤモンド2019年7月20日号を基に再編集)

大赤字で先祖返りする
「組織の三菱」と「人の三井」

 三菱グループの求心力が希薄化する中で、「組織の三菱」の伝統を維持しているのが三菱商事だ。そもそも商事は、グループ各社をつなぎ留める要の役割を歴史的に担い続けた。

 2004年に三菱自動車が経営危機に陥った際、救済を主導したのが商事だ。「槇原稔元商事会長が銀行と重工の説得に奔走した」。当時を知るOBは証言する。

 無論、商事が支援に動いたのは、それが自身を利するという計算も働いたはずだ。

 商事は創業以来、輸出入や中間流通などメーカーとバイヤーを結ぶ仲介役として“口銭”を稼ぐビジネスモデルが主体だった。04年当時はまだ、新興国への攻め手としてグループ内に自動車メーカーを持つ意義があり、それは三井や住友にはない強みとなり得たのだ。

 だが時代は変わり、GAFAなどデジタルプラットフォーマーの存在が商社の仲介機能を無力化しつつある中、口銭ビジネスが永続する保証はない。商事も鉱山事業などへの巨額投資を加速させ、2000年代に業態の転換を図ることになる。

 仲介役としての機能が薄れた商事に、もはやグループに固執する利はない。三菱自が16年の燃費不正で3度目の危機に陥った際、資本注入を日産自動車に任せて商事が支援に動かなかった背景には、そうした経営環境の変化もある。