今や日本の夏の食卓に、欠かせない野菜である胡瓜――。
実は江戸時代後期まで、人気のない野菜でした。
インドのヒマラヤ山麓で生まれ、約1500年も前に中国から日本に伝来し、平安時代には栽培されていたという長い歴史を持つ胡瓜ですが、品種改良されるまでは苦みが強すぎたため、かのグルメ大名、水戸の黄門様こと徳川光圀公などは、「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」とさんざんです。
【材料】胡瓜…2本/お好みの味噌(八丁味噌、もろみ味噌、ねぎ味噌、田楽味噌など)…適量
【作り方】①胡瓜は縞模様になるように皮を剥き、4cm幅に切る。縦に半分の深さまで庖丁を入れ、片面ずつ斜めに切り落とす。②1を立てて置き、お好みの味噌を乗せる。
また、本草学者・貝原益軒が正徳4年(1714年)に野菜についてまとめた『菜譜』では、「これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり」と書かれ、貝原益軒の友人で、農学者の宮崎安貞も胡瓜について「下等の瓜で、賞味して食べるものではないが、多くの瓜に先だって早く出回るので、田舎で多くつくられている。都ではつくることは希である」と書き残しています。
その上当時は、中国の食べ方を真似て、黄色くなるまで完熟させていたので歯ごたえも悪く(そのため「黄瓜(きうり)」と書かれていたのが「きゅうり」と呼ばれるようになりました)、まずいけれど、水分補給のため仕方なく食べる、という感じだったようです。
光圀公や貝原益軒が記した「毒」が何を指すのか気になるところですが、恐らく90%以上の高い水分量を誇る胡瓜には、利尿作用と身体を冷やす作用があるため、胃腸の弱い人が食べると下痢を起こしたことから、毒があると考えられたのではないかと想像されます。