岡田 尾竹さんの授業では、たとえば原爆の歴史を学ぶとき、原爆の歴史研究をしている歴史学者と組んで授業のなかで身体を動かすんです。読んだ文章からイメージした一場面を、実際に身体を動かして表現してみる。イマジネーションをはたらかせて、浮かんだ感情や光景を全身で表現する。そうすると、読んだことが文章の中で存在しているだけではなく、あたかも目の前にある知覚可能な事象のように感じることができるんです。

人間はイマジネーションの能力を持っています。たとえば、チンパンジーに輪郭だけ描かれた紙を渡すと、それをなぞるだけで終わります。ところが人間の子どもは、3歳くらいになると、目とか鼻とか、「そこに描かれていないもの」を描き加えるんですね。チンパンジーは知覚の世界だけに生きている一方、人間の特徴はたとえチンパンジーほど強力な知覚能力はないにしても、イマジネーションを働かせる能力があるということです。

アーティストの「仕事のやり方」に何を学ぶべきか佐宗邦威(さそう・くにたけ)
BIOTOPE代表。戦略デザイナー。京都造形芸術大学創造学習センター客員教授
大学院大学至善館准教授東京大学法学部卒。イリノイ工科大学デザイン学科修了。P&G、ソニーなどを経て、共創型イノベーションファーム・BIOTOPEを起業。著書にベストセラーとなった『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』(ダイヤモンド社)など。

佐宗 知覚+イマジネーションをもっているのが人間。まさに「ビジョン」を構想する能力ですね。『直感と論理をつなぐ思考法』では、それを「見えないものを見る力」と表現しています。見えないものを見るためには、言語処理ではない感覚が必要になります。身体感覚上の違和感だったり、視覚的な全体像だったりを踏まえたうえで、それを言語に落とし込んでいくというステップが必要になります。

岡田 そこがポイントで、イマジネーション能力がないと、アートのような「目の前にないもの」を描き出す営みは成立しません。チンパンジーにペンを持たせると抽象画のようなものを描きますが、そのような抽象絵画は難しいようでそうでもないんです。要するに、自分が引いた線からのフィードバックでまた新たな線を引くという、ベーシックなサイクルが回っているだけですから、アメリカの生態心理学者ジェームズ・J・ギブソンが言っている「アフォーダンス」(与えられた環境から生まれる動物の行動)に近いプロセスです。

難しいのは、その先の「表象」です。それこそが「アート」と呼ばれているものの本質であって、知覚とイマジネーションのはたらきがある人間だからこそ、アートは生み出せるとも言えるわけなんです。

既存の発想から抜け出すイマジネーションの力

佐宗 アートというと、通常、具体的な「アート作品」のほうに目が向きがちですが、あくまでもそのスタート地点であるイマジネーションが重要だというわけですね。

岡田 美術のようなモノ(オブジェクト)にしろ、上演芸術のようなコト(イベント)にしろ、それがアートの「作品」であると言われるのは、それが制作者が生み出した「意味」を具現化しているからです。制作者が必ずしもすべての意味を意識化しているとは限りませんが、アートワークの背後には必ず制作者のイマジネーションがあります。

ですから、「アートのコミュニケーション」とは、そうした具体的なモノやコトを介しての「イマジネーションのコミュニケーション」なんです。鑑賞者はアート作品に触発されて、「自分なりのイマジネーション」を生成する。もちろん、制作者とまったく同じことを思い浮かべる必要はありませんし、決まった正解はありません。しかし、「線が描いてあるなあ」というだけでは、アートのコミュニケーションとは呼べません。

アーティストの「仕事のやり方」に何を学ぶべきか

佐宗 『直感と論理をつなぐ思考法』では、ビジネス上の企画であってもそのスタートには「妄想」や「ビジョン」があったほうがいいという話を展開しましたが、アート鑑賞においては、逆に、最終プロダクトである「作品」のところで立ち止まることなく、アーティストが抱いていた「妄想」にまで遡らないとはじならないと。これらはちょうど、同じ山に正反対からアプローチしているような構図ですね。