岡田 さらに、このような「鑑賞」のスタイルは、「言葉」に触れるときにも通用すると思います。たとえば詩を読むときでも、「意味がわかった!」で終えるのではなく、言葉の響きを丁寧に味わってみたり、視覚的に捉え直したりするなどして、そこで浮かんでくるイメージを大切にしますよね。

言葉は記号としてとても便利ですが、言葉のもっている「イマジネーション」を抜きにしたやりとりで完結してしまっていることが多い。大学の授業もほぼ言葉の世界で、テキストを読んでそれを理解し、それを文章のかたちでレポートにすれば、それでおしまいです。これは非常に残念なことだなと。

佐宗 だからこそ、アートと社会を接続するような、学際的な取り組みを始められたわけですね。

岡田 そのとおりです。現在、認知科学や脳科学などいろいろな領域で、身体性や情動、社会性などと結びつけて知を捉え直していこうという動きが出ています。身体なしで認知ははたらきませんし、情動なしでも、社会とのかかわりなしでも、人間の知は限定されてしまいます。だからこそ、アーティストの方々に声をかけたり、他分野の研究者たちとも連携したりしながら、身体性や情動の要素を授業に取り入れたいと考えています。

佐宗 ちなみに、話が前後するようですが、岡田先生は僕の『直感と論理をつなぐ思考法』をどのように読んでいただいたのでしょうか? とくに気になった部分などがあれば、ぜひお聞きしたいです。

岡田 そうですね、佐宗さんはVISION DRIVENな思考を「妄想→知覚→組替→表現」というサイクルとして描かれていますよね。まずは出発点である「妄想」をポジティブな意味で使われているのが印象的でした。そのうえで感じたのが、個人の「妄想」がしっかりと豊かなイマジネーションになるためには、やはりなんらかの「知覚」がベースにあるべきなのではないかということです。ですから順番としては、「妄想」からではなく、「知覚」から始めるようなアプローチもあるのではないかと思いましたね。

アーティストの「仕事のやり方」に何を学ぶべきか

佐宗 面白いポイントですね。身体感覚や情動といった具体的な知覚がそもそもないと、妄想は生まれてこないのではないかと。

岡田 もちろん、いろんなパターンがあり得ると思うんですが、妄想が知覚に左右される部分はあると思っています。

「イマジネーションはどのようにつくられているか」という研究があるんですが、たとえば「地球外生物」について考えたとき、一般に人々の妄想というのは、既知の概念の影響を受けます。ですから「脚」があったり、「口」があったりというふうに、非常に構造化された「地球外生物」がつくりだされるわけです。

でも、本当の地球外生命体なら、それらが生きている環境も全然違うはずですから、もっとあり得ないものであってもいい。『ターミネーター2』に登場するT1000のように、形が自由自在に変化する液体金属のような宇宙人がいてもいいわけです。でも、そういう発想は、相当練り上げないかぎりなかなか思い浮かびません。生物の概念にはないものだからです。

佐宗 書籍の中では、妄想からはじめることの大切さに重点を置いたので、「妄想それ自体がどれくらい新しいか」といったことは問わないようにしたのですが、アーティスト活動の局面では、そこが決定的に重要になってきますよね。

岡田 そうなんです。記憶からイマジネーションしてしまうと、既知ベースの発想から抜けられません。となると、そうした思い込みを外す手法が必要になってくる。もっとも、佐宗さんの本には、そうした先入観から抜け出すための具体的な手立てについても、かなりたくさん紹介されていて、素晴らしいなと思いましたよ。

佐宗 うれしいお言葉をありがとうございます! 僕自身も、生の「妄想」をアウトプットするだけでは十分ではないと思っていて、「組替」などを通じてそこに独自性を加えていくようなプロセスは必要だと考えています。