自分の課題と他人の課題
今回は、東京・原宿にある日蓮宗のお寺の掲示板です。
悩みの多くは対人関係に起因するものです。いつもささいな人間関係を気にして、「誰にも嫌われたくない」と思っている人はいませんか?
この掲示板には「お釈迦様を嫌いな人もいた」とあります。確かに過去の資料を見てみると、お釈迦様やそのグループが迫害を受けた歴史が残されています。そのような経験を踏まえた上で、お釈迦様は『法句経(ほっくきょう)』の中で、以下のような言葉を残されています。
ただ誹(そし)られるだけの人、またただ褒(ほ)められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。
(『法句経』228)
お釈迦様のおっしゃるとおり、褒められ続けて一生を終えることができる人などこの世にはいません。ですから、周囲の評価に一喜一憂しても仕方がないといえるでしょう。同じ『法句経』にはこのような言葉も残されています。
一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と賞讃とに動じない。
(『法句経』81)
5年ほど前から、『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)という本がベストセラーになっています。自分の課題と他人の課題を冷静に線引きし、他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人介入させないことが重要である。これがアドラー心理学の視点である、というようなことが本の中で述べられていました。
確かに、自己と他者の問題を明確に区分することは大切です。他者の問題(他者からの非難や称賛など)に関しては諦めて、自分の問題に集中することができれば、雑音が入らなくなり、生きやすくなることは間違いないでしょう。
一方で、自己と他者の問題を混同して苦しんでいる人が大勢います。それは他者の問題だと分かってはいても、他者から非難され続ければそれが気になってしまい、心が折れそうになることもあります。お釈迦様は、自分を憎んで非難してきた人たちに対して実際にどのように接したのでしょうか。
もし罵る者に罵りを、怒るものに怒りを、言い争うものに言い争いを返したならば、その人は相手からの食事を受け取り、同じものを食べたことになる。わたしはあなたが差し出すものを受け取らない。あなたの言葉は、あなただけのものになる。そのまま持って帰るがよい。
(『サンユッタ・ニカーヤ』)
この言葉を読む限り、相手に全く惑わされないお釈迦様の毅然とした姿勢が伺えます。他者の問題を明確に区分し、対応しない。これが無駄な苦しみを断つ最善の策だと分かっておられるからこそこのような対応をとられたのでしょう。
「嫌われる、嫌われない」は他者の問題ですから、それを気にしすぎても仕方ありません。「誰にも嫌われたくない」なんてしょせん無理な高望みなのですから、できる限りマイペースで生きていきたいものです。
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(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)