第一、子どもの経済的安定を願うからこそ、将来高収入が得られそうな職業に子どもを就かせようとし、そういう職業に就ける進路を選択するよう子どもに勧める親は少なくない。これも親の愛情からだろう。少なくとも、親自身はそう思っているはずだ。

 このような親心の根底に、子どもが将来高収入を得れば、親の老後も安泰だし、自慢できるという親の打算が潜んでいることもあるにちがいない。もっとも、それを自覚している親はほとんどいない。

 私の両親もそうだが、この手の親の胸中には、我欲と愛情が入り交じっている。しかし、自分の心の中に我欲が渦巻いていることを誰だって認めたくない。そのため、あくまでも愛情から、高収入が得られそうな職業に就ける進路を選択するよう勧めているのだと思い込み、自分自身のどす黒い欲望から目をそむけようとする。

 そういう進路選択を子どもがするように仕向けるのに、私の両親のように「医学部に行かないんだったら、学費を出さない」という脅し文句を用いる場合もあれば、暴力によって強要する場合もあるだろう。いずれにせよ、あくまでも愛情からそういう進路選択を勧めているのだと親は思い込んでいる。

 血のつながりと育ててやった恩、さらに愛情を親が持ち出したら、子どもとしては「自分を育ててくれた、血のつながった親が自分のためを思って言ってくれているのだから……」と、従うしかないだろう。血と恩、そして愛情による呪縛があるからこそ、親が子どもを支配する関係は厄介なのだ。

支配欲求を強める
「子どもに投資している」という意識

 戦前の日本では、大多数の人々が生活するだけで精一杯という状況だった。そのうえ、子どもがたくさんいたので、子ども一人あたりにかける費用はさほど多くなかった。いや、より正確には、それほどお金をかけられなかったというべきだろう。

 ところが、戦後、高度経済成長を経て日本全体が豊かになると同時に少子化が進んだため、子どもへの投資額はどんどん増えた。もちろん、「一億総中流社会」と呼ばれた1970年代後半から1980年代までと異なり、現在は「格差社会」であり、一部の富裕層と経済的にそれほど余裕のない家庭に二極化しているが、余裕のない家庭でも教育投資を惜しまないようだ。

 これは、「いい学校」に行き「いい会社」に入ることが豊かで幸福な人生につながると信じている日本人が多いからだろう。そのため、余裕のない家庭でも、「教育による社会的上昇」を夢見て、食費を切り詰めてでも教育にお金をかける。

 子育てにかかるのはお金だけではない。時間や手間も同様だ。子どもが多かった時代は、子どもなど勝手に遊ばせておけばいいという風潮だった。ところが今は、そういうわけにはいかない。