なぜ地球を生物と考えたのか

 ところで、もっと根本的な問題として、そもそもレオナルド・ダ・ヴィンチは、なぜ地球を生物(あるいは生物に限りなく近いもの)と考えたのだろう。地球の水や岩石のことを調べる前に、地球が生物だと仮定したわけだが、それはなぜだろう。

 レオナルドには、生物(具体的には人間)と地球がよく似たものに思えた。生物の血液と骨が、地球の水と岩石に当たることは、前に述べた。その他にも、生物の肺は呼吸によって膨張したり収縮したりするが、地球の海も呼吸によって膨張したり収縮したりすると考えた。つまり潮の満ち引きがある。生物には肉の中に骨格があるが、地球も大地の中に山脈がある。

 生物にあって地球にないものは神経である。神経は運動のために存在するが、地球は運動しないので必要ない。しかし、その他の点では、地球は生物に非常によく似ている。それがレオナルドの地球に対するイメージだった。

 レオナルドは地球と人間の似ていない点として、神経の有無を指摘した。しかし、レオナルドはそれを重要な点だとは考えなかった。たしかに生物の中には、植物のように神経がないものもいる。だから地球に神経がないことは、人間には似ていなくても、生物に似ていないことにはならない。そのため、あまり重要視しなかったのかもしれない。

 しかし、その他にも、地球が生物と違うところはある。たとえば、子孫をつくらないことだ。現在では多くの生物学者が、子孫をつくることを生物の重要な特徴だと考えている。

 したがって、子孫をつくらないから地球は生物ではないと、現在なら結論することができる。

 でも、500年前のレオナルドは、子孫をつくることが生物にとって重要なことだとは考えなかった。つまり、「生物とは何か」についてはいろいろな意見があり得る。意外と生物を定義するのは難しいのだ。

(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』からの抜粋です)