「和敬塾」という珍しい男子学生寮がある。前川製作所の創業者・前川喜作氏が、都内を一望できる東京・目白台の細川邸7000坪を譲り受け、1955年に設立した。現在も大学、国籍、宗教に関係なく400人以上のさまざまな学生が暮らす。元国土交通副大臣の吉田治氏(1962年生まれ)も和敬塾出身。町工場の息子から衆議院議員となった吉田氏は、和敬塾について「政治家の登竜門」だと語る。(清談社 村田孔明)

中曽根康弘首相に
派閥、世襲を問いただす

吉田治氏吉田治(よしだ・おさむ)1962年大阪市城東区生まれ。早稲田大学法学部、松下政経塾(6期生)を経て、衆議院議員に4期当選。元国土交通副大臣。

 中曽根康弘首相(当時)が和敬塾に講演に訪れたのは、1983(昭和58)年5月のこと。話題は、中曽根首相の博識と経験に裏打ちされ、多岐にわたった。質疑応答に移ると、真っ先に挙手したのが、のちに衆議院議員となり国土交通副大臣を務める吉田治氏だった。

 当時21歳の吉田氏は、時の宰相を相手にもひるまずに派閥政治の功罪、世襲議員の弊害、朝食のメニューの3点について質問した。

「派閥の功罪は新聞報道の通りで、特に説明することはないと答えられました。2世3世議員については、本人の心がけと能力次第だと。朝食は、米と納豆とトマトとたくあんでした。僕らと同じものを食べているのだと知って、安心しました(笑)」(吉田治氏、以下同)

 半年前に首相の座についたばかりの中曽根氏は、田中角栄の影響下にあると言われており、「角影内閣」「直角内閣」とやゆされていた。

「和敬塾の隣は田中角栄邸ですし、マスコミも引き連れていました。うっかり口が滑って、角栄さんの耳に届いたら大変でしょう。あまりご機嫌のよい答弁ではなかったですよ。でも、僕は政治家を志していたため、どうしても聞かずにはいられませんでした。大阪人ですから、ちゃんと“くすぐり”も忘れずに朝食メニューを質問しました。塾生の間で笑いが起きたのはうれしかったですね」

 中学3年生の家庭訪問で、担任から「将来は何になりたい?」と問いかけられた吉田氏は、とっさに「政治家」と答えていた。