社会が「人間」を作っている
「だが、現代のパノプティコンには中枢というものがない。なぜなら、囚人自身が監視の役割を担うようになり、いわば監視塔がネットワークとして刑務所全体に遍在してしまったからだ。これでは囚人全員を同時に爆破でもしないかぎり、もはやこのシステムを破壊しようがないだろう。そして、この破壊不可能という結論は、先に述べたポスト構造主義の結論とも完全に一致する」
「すなわち、『人間は、自分を支配する構造(社会システム)を、自らの意志で変えることも抜け出すことも絶対にできない』ということだ」
「だから、きっとこれからもパノプティコン、監視社会は続いていくだろう。監視される側が、囚人側が、どんな意志を持とうと関係ない。社会が、自らの発展のために『正常』な人間を求めて、監視システムを自ら強化していく。そして、その社会のために産み出された人間は、社会が規定する『正常』から外れることを恐れ、死ぬまで『他者の視線』を気にしながら生きていくのだ」
「わかるだろうか? もはや人間が『人間にとって正しい社会』を作っているのではない。社会が『社会にとって正しい人間』を作っているのだ。とっくに主従関係は逆転してしまっているのである。
「では、以上で倫理の授業を終わりにしたいと思う」
えっ……!?
教室に授業終了のチャイムが鳴り響き、先生は唐突に授業を打ち切った。終了の時間が来たのだから仕方がないのかもしれないが、本当にこんな終わり方でいいのだろうか。いや、さすがにこれはあんまりだと思う。
が、他の生徒たちは、さっさと片づけを始めて、欠伸まじりに次々と教室から出て行ってしまった。今の先生の話を聞いても何とも思わない人が大半だったようだ。でも、僕は―奇妙な虚脱感に襲われ、しばらく席から立ちあがることができなかった。
(『正義の教室』第9章 正義の終焉「ポスト構造主義」より抜粋)