1980年代に米連邦準備制度理事会(FRB)議長としてインフレを封じ込めたポール・ボルカー氏が死去した。92歳だった。金融危機を教訓にボルカー氏が立案し、オバマ政権が導入した「ボルカー・ルール」は金融規制を巡る議論の的となった。ボルカー氏は民主・共和の両政権下でほぼ30年にわたり金融政策に携わり、金融システムを監督する役目を果たした。ボルカー氏はニューヨーク連銀総裁を務めていた1979年8月に、当時のジミー・カーター大統領からFRB議長に指名された。ボルカー氏の指揮下で政策金利は一時20%に引き上げられ、1970年代に米国経済を疲弊させたインフレに歯止めをかけたが、歴史上最も人気のないFRB議長の1人に数えられる。ただ一方で、その施策が奏功してインフレが落ち着き、歴史上最も成功を収めた中銀当局者でもある。