1996年の放送開始から24年が経った今も、たくさんのファンを持つバラエティ番組「水曜どうでしょう」。6年間のレギュラー放送終了後も不定期に「新作」を送り出し、そのたびに、「水曜どうでしょう」がツイッターでトレンド入りするなど、大きな話題を呼んでいる。
番組の生みの親であり、構成スタッフのひとりでもある藤村忠寿チーフディレクターが出版したエッセイ集『笑ってる場合かヒゲ~水曜どうでしょう的思考』(朝日新聞出版)は、番組ファンだけでなく、本放送当時は幼かった(生まれてなかった?)、若い世代からも篤く支持されている。
藤村Dの言葉が、なぜ多くの人の共感を呼び、励まされたり癒されたりする人が続出しているのか、その秘密を探った。
■藤村Dも若かった! 番組スタート時
――1996年、藤村さんは31歳でした。30代の6年間で職業人生の基盤となる作品を手掛けたなんてうらやましい限りですが、ご本人の実感としてはいかがですか?
報道志望だったのに(※「水曜どうでしょう・藤村忠寿Dが明かす大泉洋の必死さの理由 『僕が屁が出るまで笑わないと面白くない』」)バラエティを作れと言われましたからね。すべてが手探りでした。でもその試行錯誤をいまだに続けていられるのは、誰かに強制されたわけでも、教わったわけでもなく、自分たちでゼロから作り上げたからこそじゃないかな。自分たちは間違ってなかった、だからこそ続けられるんだと。本当に幸せなことですよね。
レギュラー放送当時、大泉さんはロケのたびに体調を崩してぼやいてたんですよ。
「どうでしょうに楽しいロケなんてないんだよ。出来上がったVTRが面白いだけで、我々は誰一人楽しくなんかないんだ」。
まったくその通りでした。「面白くならなかったらどうしよう」って、とにかく不安しかない。いつもみんな、出発は無口でした。
でもね。誰一人ロケを楽しみになんてしてなかったからこそ、必死で「楽しもう」としてたんです。どんな小さなことも「面白くしてやる!」、どの一瞬も「楽しんでやる!」。仕事ですから、遊びみたいに楽しいなんてこと、あるわけないんです。でも、視聴者から「いいなあ、遊んでるだけで仕事になるなんて」って思ってもらえたら、僕らの勝ちなんですよ。