地下鉄日比谷線の脱線衝突事故からもうすぐ20年。事故原因は単純ではなく、小さな要因が複合的に重なったことで起きたことがわかっている。悔やみきれないのは、日比谷線事故以前の小規模な脱線事故から得られた教訓を生かせていなかったこと。改めてこの5人もの人命が失われた事故を振り返り、鉄道会社の安全対策を考えてみたい。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
複雑だった
日比谷線の脱線要因
東京メトロは2月19日、女子駅伝部「東京メトロマーキュリー」を4月1日に創設すると発表した。アトランタオリンピック女子5000m走で4位入賞の実績を持つ志水見千子氏を監督に迎え、初年度は選手4人で活動を開始。また東京大学スポーツ先端科学研究拠点との共同研究を通じ、科学的アプローチでチームの強化を図っていくという。目標は、数年内の全日本実業団対抗女子駅伝競走大会(クイーンズ駅伝)の出場、優勝だ。ちなみに鉄道事業の「駅」にちなんで「駅伝部」という名称だが、駅伝以外にトラック競技やマラソンなどの活動も予定しているそうだ。
今ではほとんど忘れられているが、東京メトロの前身である帝都高速度交通営団(営団地下鉄)も実業団チームとして陸上部を保有していた。しかし、1994年に創設されたチームは、わずか6年後に活動中止を余儀なくされる。2000年3月8日に、地下鉄日比谷線脱線衝突事故が発生したからである。間もなく事故から20年が経過しようとしている。
事故は朝ラッシュの余波が残る9時1分、日比谷線中目黒駅構内で発生した。北千住発菊名行き列車が、中目黒駅到着直前に最後部車両の車輪が脱線。その直前に中目黒駅を出発した竹ノ塚行き列車と衝突した。竹ノ塚行き列車に乗車していた乗客5人が死亡。双方の列車に乗車していた乗客64人が負傷する大惨事となった。
運輸省(当時)は事故当日に鉄道事故調査検討会を発足し、事故原因の究明に当たった。その結果、見えてきたのは、それぞれ単独では脱線に至らない程度の複数の要因が重なり合うことで発生する「複合脱線」と呼ばれる事故だったということであった。