ウイルスの増殖には生物が必要
ウイルスはDNAやRNAのような設計図は持っているが、それをもとにタンパク質を組み立てる仕組み(リボソームという細胞小器官)を持っていない。タンパク質がなければ、ウイルスは細胞に感染したり、自分の複製を作ったりすることができない。ウイルスは細胞の力(つまり生物の力)を借りなければ、何もできないのだ。
ウイルスが増えるには、必ず生物が必要である。したがって、ウイルスはいるけれど生物はいない、そういう世界は想像しにくい。そのため、生物が生まれた後で、ウイルスが生まれた可能性が高いのだ。さっきの登山道は、生命が誕生するときに登っていった道ではなく、ウイルスが誕生したときに下りてきた道だと考えられる。おそらく生命が誕生したときには別の登山道を登っていったのだろう。おそらく生物と無生物をつなぐ道はたくさんあるのだ。
現在、地球にすんでいるすべての生物は、ただ1種の共通祖先から進化してきたと考えられている。すべての生物は、みんな親戚なのだ。でも、だからといって、地球における生命の誕生が1回だけだったとは限らない。
地球で生命が何回生まれたのかはわからない。生命が生まれた回数を推測できるような証拠は、地球上にまったく残っていないからだ。1回だけ生まれたのかも知れないし、100回生まれたのかも知れない。もしも1回しか生まれなかったのなら、生命の誕生は奇跡的なことだったのだろう。
もし100回生まれたのなら、生命の誕生はありふれたことだったのだろう。そして、そのうち99回は絶滅してしまったのだろう。それらの生命が、みんな同じ登山道を通って山頂に到達したとは限らない。
そして先ほど「ウイルスは、ふもとから登ってきたのではなく、山頂から降りてきた可能性が高い」と述べた。生物はつねに進化している。進化の結果、複雑になる場合もあるし、単純になる場合もある。その、単純になった場合(山頂から降りてきた場合)の極端なケースがウイルスなのだろう。
ウイルスは生物と無生物の中間的な存在なので、ウイルスを生物に入れるか、あるいは無生物に入れるかで悩むのは、あまり意味がないかもしれない。どちらかに決めなければならないときは、私はウイルスを生物に入れないことにしている。でも、本音を言えば、どちらでもよいと思う。
生物が進化した結果、ウイルスが生まれたのであれば、生物はウイルスと縁が切れないだろう。生物は(そしてはウイルスも)進化し続ける。進化が止まることはないのだから。