社内再生委の案を無視して
社長独自の再生プランと高齢人事
事の発端は2019年10月末。業績不振の責任を取って岩田功社長(当時)が辞職し、当時取締役兼常務執行役員だった中山氏を、次のリーダーが決まるまでのリリーフとして社長に据えたことがきっかけだという。
中山氏を引き立てたのは岩田氏だ。17年1月、岩田氏が社長の座に就いたと同時に執行役員人事総務本部長になり、18年3月には取締役に昇格、19年10月には岩田氏の後釜になるという「異例のスピード出世」(幹部)の人材である。人事畑出身で、三陽の事業に関する実績に目立ったものはない。
岩田氏の辞任以降、社外取締役を中心とした再生委員会が立ち上がる。この再生委員会の主導で20年1月末までに新体制を決めて3月からスタートするという方向で、外部のコンサルタントを入れて体制作りが進められていった。
そして1月30日の取締役会。再生委員会から「再生プラン」が提案された。ところが中山氏はその場で、「まだ足りないところがあるので引き取らせてほしい。2月の取締役会まで私が(社長を)やる」と言い出した。周囲が困惑する中、再生プランのかじ取りを中山氏がすることになる。
「当時、中山氏は新体制ではトップを継続しないという前提だった。保身が強い人なので自分が居残るためになんとかしたかったのだろう」と前出の幹部は振り返る。
そして、2月21日の取締役会は波乱に満ちていた。
まず、中山氏が再生委員会の案を無視した独自の“会社案の再生プラン”を持参。この再生プランが今回の決算で発表されたものだ。同時に、ゴールドウィンの元副社長だった大江伸治氏を連れてきた。そして、大江氏を代表取締役兼副社長執行役員に据えたのだ。大江氏は72歳と高齢で、他社の経営陣が若返りを図る中でトレンドの逆を行く人事である。
さらに、中山氏は同社のデジタルトランスフォーメーションを担当していた慎正宗執行役員の解任を上程した。その理由は、同社の組合に寄せられた「『朝晩にメールを送ってくる』というパワハラがある」という情報が根拠だったようだ。
ただ中山氏が提示した慎氏の解任案は、そもそも懲罰委員会を経ておらず、社内調査もされていないため、解任事由として不適当であると判断されて、執行役員の解任は却下された。
なぜ中山氏はこんなことをしたのか。「慎氏は再生委員会に所属しており、もともとコンサル出身で、中山氏にしてみれば目の上のたんこぶだったのでは」と幹部は話す。
しかし、4月に執行役になった古川剛人事総務本部長によって、「人事権の行使の範囲」という名目で、慎氏はデジタル戦略本部から人事部付に飛ばされた。その結果、慎氏が副本部長(本部長は中山氏)として実質的に管掌しており、デジタルトランスフォーメーションを進めていたデジタル戦略本部は事実上消滅した。
慎氏は人事異動への異議を申し立てるメールを経営幹部に送信したものの、人事は覆らなかった。そして3月の取締役会で慎氏は執行役員を解任されることになる。
懲罰人事はさらに波及する。慎氏のメールに同調した人物に、生え抜きで営業トップの寺田毅常務執行役員がいた。寺田氏は三陽がバーバリーを失った際、全ての売り場をマッキントッシュロンドンに入れ替える陣頭指揮を執った苦労人だ。
寺田氏もまた、取締役会の決議を経ず、常務執行役員からヒラの執行役員にまで降格されてしまった。他にも、中山氏の反対勢力が役職を失っているという。
今回発表された経営陣の「刷新」で、中山氏は代表取締役社長から代表取締役兼副社長執行役員に「降格」する。しかし、大江氏が社長に繰り上がっただけで実質的に中山・大江体制に変わりはない。残りは加藤郁郎常務執行役員が取締役となり、社外取締役に6人が加わる。
社外取締役が増え、一見ガバナンスが強化されたように見える。だが、「多数決を取るために、社内3人に加えて2人同意が取れる人物が必要。今回提案された社外取締役のうち2人が、三陽と関係の深い取引先の出身だ」と幹部は指摘する。
もともと出世コースにいなかった中山氏がこれほどまでに権勢をふるうのは、「経営者待遇で報酬も非常に良く、やめたくなくなったのだろう」と幹部は漏らす。
赤字続きの中でも、中山氏は朝晩ハイヤー通勤。「社内からの批判を受け、ハイヤーの車のナンバーを変えて目立たない駐車場を使うようになった」と関係者は苦笑する。
懲罰人事の結果、中山体制は強化され、デジタルトランスフォーメーションというECの柱が失われた。そこを襲ったのが新型コロナによる百貨店の業務縮小の悪夢である。