エッジの効いた京都企業として知られるオムロン。コロナショックで甚大な影響を受けている自動車部品領域において、タイミング良く車載機器事業を売却する決断ができたのはなぜなのか。『電機・自動車の解毒』の羅針盤なき経営(5)では、山田義仁・オムロン社長に「ポートフォリオ経営」の徹底ぶりについてトコトン聞いた。(ダイヤモンド編集部副編集長 浅島亮子)
コロナに倒れた立石義雄・元社長
創業経営から企業経営へ導いた立役者
――4月21日、オムロンの元社長で名誉顧問だった立石義雄さん(享年80歳)が新型コロナウイルス感染症のため急逝しました。オムロンにとって、立石さんや創業家はどのような存在だったのですか。
喪失感でいっぱいです。3月31日まで京都商工会議所の会頭をされていて、翌週の週末に発症されてしまったので、今でも信じられない気持ちです。3月下旬にお会いしたのが最後で、お見舞いに行くことも葬儀に参列することもかないませんでした。僕の中では、明るい元気いっぱいの“京都の顔”だった立石さんの印象が残っているだけです。
オムロンは初代社長の立石一真が大きくした会社です。創業家である立石家は、会社の求心力の原点であり発展の原動力でした。一真の三男である義雄さんが社長になったとき、求心力の原点を「創業家」から「企業理念」へ変える決断をされました。そして実際に、四代目社長(作田久男氏)は非創業家から選びました。義雄さんは創業経営から企業経営へ脱却する礎を築いたわけで、計り知れない功績をオムロンに残した人です。
――立石義雄さんは、オムロンの経営についてアドバイスされることはあったのでしょうか。
僕とは22歳離れていたので父親のような存在。いつも温かく見守ってくれていました。経営に対して「ああせえこうせえ」と口を出すことは、一切なかったですね。