そもそも、その専門家が信頼のおける第一級の専門家であればあるほど、限定された自分の専門領域において起こりうる事態について、状況の構造的な問題把握が可能である場合に限って、的確な対処法を案出したり、解説したりする。一方で、専門領域を超えた事項や、ほかの領域をもカバーしたうえで最適化を図るような場合には、かなり慎重に思考を進めるため、安易に言説を開示しないものだ。

 また、自分たちの領域における思考枠組みが通用しない、それらを逸脱した事象に対しては、既存の知識体系を適用してはいけないことも彼らはよく知っている。

 そんなことから、真の専門家とは、「限定された領域において、過去から培ってきた世界観や認識の枠組みのもと、(主に)統計的に見て成功の可能性が高いであろう解決策」を提供することを自らの役割として強く認識している。その上で、専門家として発言する場合と、専門家の領域を逸脱して発言する場合を明確に分け、専門外に範囲が拡大していれば、安易に発言しないものである。したがって、その発言は極めて抑制的であり、断言を避けるから、歯切れが悪く、もちろん事実の誇張もない。面白みに欠け、ワイドショーにはもっともふさわしくない人物ともいえる(だからこそテレビや動画では、真の専門家でない方々のご尊顔を拝する可能性も高くなるわけである)。

「領域を越境」した
専門家の意見をどう見るべきか

 このように言うと、専門家をけなしているように思われるかもしれないが、逆である。実はこのような抑制的かつ、自分の言説がどの範囲においては確からしく、どこからは不確かであるかを自覚している人こそが、混乱時においては宝のような存在である。こうした複数の領域の真の専門家の推論を、統一的に対応策として組み上げていくのは、戦略スタッフといわれる、また別の人の仕事である。そして、それらの案をもとに特定の基軸で意思決定するのが、前にも書いたように、非常時のリーダーの業務なのである。

 一方、自分の領域にとどまらず、越境をいとわず、多方面にわたって積極的に自分の意見を開示する知識人や識者もいる。今回のコロナ問題の発生時にもあちこちでそういう人を見かけた。何らかの分野で卓越した業績を示しているとはいえ、越境先の領域においては決して深い知見を有しているわけではない。私たちは、このような人たちの発言をどのように認識し、扱っていけばよいのだろうか。

 簡単に言えば、やはりその言説に傾聴に値する一定以上の根拠があるかを見極めることが肝要だ。