発見した定理はがん研究にも影響を及ぼす

 そんなラマヌジャンの人生を決定づけたのは、イギリス人数学教師のジョージ・カー が著した『純粋・応用数学基礎要覧』という受験用の数学公式集に出合ったことだった。この本は大学初年級までに習う6000余りの定理や公式が、表題ごとに並べられただけの無味乾燥なものであるが、ラマヌジャンはこれらを自らの手で確かめることに没頭した。

 公式集の定理・公式には簡単な注が添えられているだけで、証明らしきものは何もなかったため、それらが正しいことを確認するためには独自の方法を編み出す必要があったのだが、それが新しい定理を発見するヒントになることも少なくなかった。 

 ラマヌジャンは、自身が「発見」した定理や公式をノートに書きつけるようになった。その後何度か整理されて3冊にまとめられたこの『ノート』は、現在マドラス大学の図書館に所蔵されている。ただし『ノート』に記されているのは定理や公式の結果のみで、証明は一切書かれていない。

 ラマヌジャンは、ほとんど独学で数学を学んでいたから、『ノート』に記されたもののうち3分の1程度は既に知られているものであったが、残りはまったく新しいものだった。その数は合計3254個。中には、最近になって開発された、最新の手法を使わなければ証明できないものも含まれている。実際、『ノート』にあるすべての定理・公式が証明されたのは、ラマヌジャンが亡くなってから77年も経ってからのことだった。

 たとえば無限級数(無限に続く数の和)で表現された円周率を計算するラマヌジャンの公式は、驚くほど速やかに円周率の真の値(3・141592……)に近づく。なんと最初の2つの数を計算するだけで、小数点以下8桁目までが円周率の真値と一致するのだ。

 一方、ニュートンと並んで「微積分学の父」と称されるドイツのゴットフリート・ライプニッツ(1646~1716)が発案した有名な円周率の公式は、500番目の数まで計算しても小数点以下3桁目までしか一致しないから、文字通り桁違いである。

 ちなみにラマヌジャンの円周率の公式の正しさが証明されたのは、この天才が没してから60年後(1987年)のことであり、以降円周率の計算は飛躍的に桁数を伸ばすことになった。

 他人にはまったく想像がつかないその発想の源について、ラマヌジャン自身は「信じてもらえないだろうが、すべて毎日お祈りしているナーマギリ女神のおかげなんだ」と答えている。また「神の御心を表現しない方程式には、なんの意味もない」とも語っている。

 今日、ラマヌジャンが発見した定理や公式は素粒子論、宇宙論、高分子化学、がん研究など、多方面に影響を及ぼすようになっている。これについてプリンストン高等研究所の理論物理学者フリーマン・ダイソンは、「ラマヌジャンを研究することが重要となってきた。彼の公式は美しいだけでなく、実質と深さをも備えていることが、わかってきたからだ」と述べている。

(本原稿は『とてつもない数学』からの抜粋です)