床屋のパラドックス

 集合論こそ現代数学の源泉であるという気運が高まる中、「アリストテレス以来最大の論理学者」の呼び声高いイギリスのバートランド・ラッセル(1872~1970)は集合におけるいわゆる「ラッセルのパラドックス」に気づく。この例としては次の「床屋のパラドックス」が有名である。

 ある町には床屋が1軒しかない。またその床屋は男が1人で営業している。この床屋は自らにあるルールを課していた。それは「自分でヒゲを剃らない町人のヒゲはすべて剃る。しかし、自分でヒゲを剃る町人のヒゲは剃らない」というものである。

 さて、この床屋のヒゲは誰が剃るのだろうか? 

 もし床屋が自分のヒゲを剃ることにすると「自分のヒゲを剃る町人のヒゲは剃らない」に矛盾する。かと言って、自分では剃らないことにすると「自分のヒゲを剃らない町人のヒゲはすべて剃る」に矛盾してしまう。床屋は自らが課したルールによって、自分のヒゲを剃ることも剃らないこともできなくなってしまうのだ。

 こうしたパラドックスを避けるために、ラッセルは師であるアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(1861~1947)と共に、全3巻から成る『プリンキピア・マテマティカ』を著した。この本は、集合論に基づいて、人類が得た数学の全体を統合し、それらを記号だけで証明しようという、それはそれは壮大なコンセプトで書かれている。

 そして、なんと「1」を定義するためだけに、最初の1巻のほとんどが使われている。もちろん、その後はスピードを上げて、もっと高度な数学的な概念が次々に登場するが、最後は「ここから先は同様に導ける」との記述とともに(やや匙を投げた感じで)未完に終わっている。

(本原稿は『とてつもない数学』からの抜粋です)