“自民党ヨイショ判決”では?
名古屋地裁に響く「不当だ」の叫び
2013年に行われた生活保護費減額の取り消しを求める訴訟が、生活保護で暮らす1000人以上の原告と約300人の弁護団によって、全国29地裁で行われてきている。
6月25日、最初の地裁判決が名古屋地裁で言い渡された。緊張感が漂う法廷に入ってきた角谷昌毅裁判長は、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」という判決を述べると、足早に法廷から去った。傍聴席からは「不当判決だ」という叫び声が上がった。原告の完全な敗訴である。
2013年の生活保護費減額については、正当化することのできる合理的な理由はない。理由らしい理由がないのに引き下げが実施され、生活保護のもとでの暮らしは締め付けられている。いわば、国が堂々と「生活費を充分に渡さない」という経済的DVを行っているようなものであり、“情状酌量”の余地はない。法廷での厚労省側の主張には、時に「もっともらしさ」を取り繕うことさえ放棄しかけているような節もあった。
しかし、この経済的DVは、家庭内での出来事ではない。国家によって、200万人以上を対象として行われている。減額された保護費の総額は、数千億円に達する。原告が勝訴するということは、国が2013年から2018年までの5年間の減額分の保護費を原告に支払うということである。実行するためには、自民党が与党となっている国会で予算措置を行い、可決する必要がある。必要であっても、実現は困難であろう。
以上の理由から、この種の訴訟の判決の定番の1つは、「生活保護法第8条によれば、厚労大臣が決定することになっている。それが違法であるわけがない」という「裁量論」である。さらに「それにしても、これはひどい」または「そこまでひどくはないでしょう」という「程度論」がセットになる場合もある。
今回の名古屋地裁判決も、「生活保護法第8条に基づいて厚労大臣が決めました。そこまでひどくはないでしょう」という「裁量論」「程度論」の組み合わせであった。そこには、特に新規性はない。