東日本大震災の大津波によって、児童・教職員84人という世界でも例のない犠牲者が出た石巻市立大川小学校。震災から1年5ヵ月が経過したが、なぜこれほどの児童・教職員が犠牲にならなければならなかったのか、今もまだ真実は明らかになっていない。大津波が襲った当日、大川小の生存者の様子を目撃したという夫妻がいる。夫妻はあの日、どんな事実を見ていたのか。

裏山からみた大川小。入釜谷の国道に出る林道につながる。(2012年2月14日、石巻市釜谷)Photo by Yoriko Kato

 東日本大震災の津波被害で、児童と教職員の計84人が、死亡・行方不明となった現場、石巻市立大川小学校の被災校舎付近はいま、多くの人がひっきりなしに訪れる観光スポットとなっている。

 献花台で手を合わせ、痛々しい姿になった校舎を半周してから、学校の裏山を見上げ、口々につぶやく。

「こんな近くに山があるのに、なぜ」「この角度はちょっと……」「ここから登れたんじゃないの?」

 災害や事故の被災現場をめぐる追悼の旅を、ブラックツーリズムというそうだ。大川小には、そのようなツアーバスやレンタカー、他県ナンバーの車が、次々と来ては去っていく。

 多くの人がため息と共に見上げるこの山の根をまわったところに、小さな工場がある。津波被災当時、周辺の集落の人々が避難していたところだ。

 私たちは、この工場の経営者が、大川小の生存者の当日の様子を知っていると聞いて、話を聞きに行った。

A教諭の証言は実は別人の証言?
夫妻が見た真実と報告書の間にある矛盾

「A先生の報告書は、最初から全部嘘なんです。だいたい9割方は嘘だから。なんで嘘ついたんだかは、わかんないですけども」

 私たちが訪れた目的を説明すると、工場の社長は、市教委が作成した生存教諭の聞き取り書について、いきなり、そう切り出した。

 報告書とは、市教委の加藤茂美指導主事(当時)が、震災から2週間後の3月25日に、被災当時と直後の様子を、教職員で唯一生存したA教諭から聞き取り、翌4月に入ってからまとめたものだ。柏葉照幸前校長に連れられて、A教諭が市教委まで証言に訪れた時の様子は、前々回、加藤氏が私たちに語った話のなかで、紹介した。

 社長夫妻の話によると、この報告のなかには、いくつも矛盾点があり、A教諭とは別人の証言のように読めるという。

 私たちは、市教委を通じて再三A教諭への取材の問い合わせをしているが、「主治医からの許可が出ない」「自分たちも直接話ができない」(指導主事)と説明されている状況だ。

 まずは以下に、市教委が作成した聞き取りの報告書のなかから、「被災時、避難誘導に当たった教諭Aの聞き取り調査の概要」の一部を紹介する。