幸之助さんが他界されて四半世紀が経つが、多くの日本企業が目的の喪失、理念の喪失に陥っている現在、あらためて彼の歴史をひもとくと、はたと気づかされること、いまだからこそ肝に銘じるべきことが少なくない。

 凡事徹底、小事は大事、覿面(てきめん)注意、素直な心、会社は公器、人をつくる会社、日に新(あら)た等々――。まだまだあるだろうが、幸之助さんならではの経営の心得に共感し、おのれの糧としている老若男女はいまでもたくさんいる。

 実は1年ほど前、それこそ幸之助さんが1946年に設立したPHP研究所から彼の評伝を依頼され、この転換期に生きるビジネスパーソンが幸之助さんから、いま何を学ぶべきなのか、あらためて研究する機会を得た。

 

                                                知識なり才能なりは必ずしも最高でなくてもいい。
                                                  しかし、熱意だけは最高でなくてはならない。
            
                            松下幸之助

 幸之助さんは、古今東西の非凡なリーダーに共通する「時代を読む能力」に優れていたが、むしろ特筆すべきは、その知見を人々の心に訴える言葉で企業理念に翻訳したことだろう。

 たとえば、誰もが知るところの「水道哲学」(彼自身はそう表現したことは一度もない)だが、パナソニックの創業記念日である1932年5月5日(創業命知元年と呼ばれる)、当時37歳の幸之助さんは第1回創業記念式を開き、168人の従業員に向かって、次のように述べた。

 「水道の水は価(あたい)あるものであるが、通行人が公園の水道水を飲んでも誰にもとがめられない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を無尽蔵にたらしめ、無代に等しい価格で提供することにある」
 
 その後、戦争に負けて、日本を立て直そうという時代になると、幸之助さんは、しきりに「共存共栄」という言葉を使うようになる。時代を読む能力とは、言い換えれば、変化を察知し、適応する能力のことである。こうして新たな企業理念が生まれた。

 幸之助さんは、このように理念の人であったが、その一方で、誰より利益に厳しい人でもあった。そうであるからこそ、企業理念をシンプルな戦略に翻(ひるがえ)す術に長けていた。

 先の水道哲学は「よいものをつくる」である。戦前当時は粗製濫造がはびこっていたため、いい製品をつくって、安く提供すれば、おのずと会社は成長する、と考えたわけである(松下電器の国際化は途上国での成功が特徴的だが、この水道哲学の影響が大きいのではないだろうか)。

 また、共存共栄は「一番高い価格をつける」であった。最も高い価格をつけるということは、その価格に見合った製品をつくらなければならないだけでなく、販売店や消費者に受け入れられなければならない。一筋縄ではいかないが、その結果、ライバルと競合することはない。すなわち共存共栄である。もちろん、利益率が向上し、利益が増える。

 いずれの戦略も、いまではありきたりなものだが、企業理念をその時代にふさわしい戦略に具体化することの必要性は、いまも昔も変わらない。ところが、言うほどには簡単ではない。皆さんはやれているだろうか。

 「経営」という言葉の語源をたどっていくと、道理や筋道をつける、構想する、せっせと働くなど、さまざまな意味が見つかるが、そこから派生して「思い悩む」という解釈がある。
 
 幸之助さんは、朝令暮改どころか、朝、昼、夕方、晩と、言うことが違ったそうである。それだけ、日々思い悩んでいたのだろう。しかしだからこそ、企業理念を誰にでもわかりやすく伝える力を身につけたのであろう。


●構成・まとめ|立崎 衛  ●イラスト|ピョートル・レスニアック
*謝辞|本イラストレーションの制作に当たっては、パナソニック広報部にご協力いただきました。