「中庸の徳たる、それ到(いた)れるかな」

 言わずと知れた『論語』の有名な一節で、「知見によって過大と過小との両極における適切な中間を見極めることは、最上の徳である」という意味である。ところが、時代の端境期は不確実性が高いがゆえに、根拠に乏しい希望的(あるいは絶望的)予測やもっともらしい演繹的推論が百出し、世の中は岐(えだ)多くして羊(ひつじ)を亡(うしな)いやすい。

 いわく、付加価値の創造はモノづくりからコトづくりに移り、今後はサービスが競争優位の源泉になる。3Dプリンターによって消費者はほぼ何でも製造できるようになる。21世紀は、プラットフォームから富と繁栄が生まれる。デジタル技術の幾何級数的(エクスポネンシャル)な進歩により、これまで不可能といわれていたことが可能になる。人工知能(AI)やロボットが人間の仕事を代替するようになり、「人間と機械との競争」が始まる、等々――。

 現在のように先が読みにくく、判断に迷う時代には、地に足の着いた「中庸の徒」の言うことに耳を傾けたい。藤本隆宏氏は、漠然とした可能性や推測を排し、べき論や安易な演繹論を避け、現場の観察と調査を通じて現実を語る、数少ない経営研究家である。2004年、東京大学ものづくり経営研究センター(MMRC)を設立し、産学連携と国際連携の下、製造業はもとより、金融、情報処理、小売り、病院や旅館など、さまざまなサービス業の現場研究を続けている。

 その一方、同センターにおいて、ものづくりに関する共同研究を進める東大初のコンソーシアム「ものづくり経営研究コンソーシアム」、また現場のベテラン作業者をインストラクターとして養成する「ものづくりインストラクター養成スクール」や「ものづくり改善ネットワーク」を立ち上げ、中核的存在として尽力している。さらには、隣国である韓国、中国、台湾はもとより、東南アジア諸国やインド、ヨーロッパ、北米および南米など、世界各国に赴き、「貴国も『よい現場』をつくり、それを残していくべきである」と訴えている。

 本インタビュー(注1)は、現場の視点で読み直した日本産業の歴史観に始まり、これからのグローバル競争のあり方、自動車産業の近未来、IoT(モノのインターネット)やインダストリー4・0の現実、プラットフォーム戦略やビジネス・エコシステム論の功罪、ビジネス・ジャーゴンの陥穽等、多岐にわたっているが、ものづくりにまつわる偏見や誤解を正し、21世紀こそ強くて明るい「良い現場」づくりがグローバル競争には不可欠であることを、一人でも多くのビジネスリーダーと共有することを目的としている。

 孔子はまた、こうも言っている。「君子は中庸なり。小人は中庸に反(そむ)く」と。

注1)
藤本氏は、2016年秋よりサバティカル(研究休暇)でフランス・リヨン高等研究院(IAS)に滞在中であり、往復書簡によって作成された。

日本製造業に
「陽はまた昇る」のか

編集部(以下青文字):日本企業、とりわけ製造業は、デジタル分野でアメリカの後塵を拝し、コスト競争では中国に敗れ、経営のグローバル化に遅れ、イノベーションでも精彩を欠いており、おしなべて収益力も低いと暗い話ばかりです。しかし実際には、そう捨てたものではないのではないでしょうか。

東京大学大学院 経済学研究科 教授
藤本 隆宏
TAKAHIRO FUJIMOTO
東京大学大学院経済学研究科教授。東京大学経済学部卒業後、三菱総合研究所に入社、ハーバード・ビジネス・スクールにてDBA(経営学博士)を取得。東京大学経済学部助教授を経て、1999年より現職。また、東京大学ものづくり経営研究センター長を兼ねる。主な著作に、『生産システムの進化論』(有斐閣、1997年)、『生産マネジメント入門〈1〉〈2〉』(日本経済新聞社、2001年)、『能力構築競争』(中公新書、2003年)、『日本のもの造り哲学』(日本経済新聞社、2004年)、『ものづくりからの復活』(日本経済新聞出版社、2012年)、『現場主義の競争戦略』(新潮新書、2013年)が、共著に、『自動車産業21世紀へのシナリオ』(生産性出版、1994年)、『トヨタシステムの原点』(文眞堂、2001年)、『ビジネス・アーキテクチャ』(有斐閣、2001年)、『ものづくり経営学』(光文社新書、2007年)、『ホンダ生産システム』(文眞堂、2013年)、『ITを活かすものづくり』(日本経済新聞出版社、2015年)、『日本のものづくりの底力』(東洋経済新報社、2015年)、『ものづくりの反撃』(ちくま新書、2016年)などがある。また、ハーバード・ビジネス・スクール学長(当時)のキム B.クラークとの共著Product Development Performance: Strategy, Organization, and Management in the World Auto Industry, Harvard Business School Press, 1991.(邦訳『製品開発力』ダイヤモンド社、1993年。増補版が2009年に発行)は、第35回日経・経済図書文化賞を受賞、またThe Evolution of a Manufacturing System at Toyota, Oxford University Press, 1999. は日本学士院賞、恩賜賞、「製造業のノーベル賞」といわれる新郷賞研究部門賞を受賞。

藤本(以下略):産業競争の基本は、自国や自社の強みと弱みをたえず正確に把握し、強みを伸ばし、弱みを補強することに尽きます。そのためには、①世界各国の産業現場の実力を正確に把握し、②各製品の本質的な特性や変化を深く理解する必要があります。

 ところが、経済学の世界では、「交換の経済学」は精緻に発展したものの、産業の現場や競争力を正面から分析する「生産の経済学」は、この100年ほど停滞気味でした。それもあってか、前者で精密な分析をする経済専門家でも、後者となると、たとえば「日本の製造業は低賃金国には勝てず全面的に衰退する」といった論理的にも実証的にも粗雑な議論や、10年前に思考が停止したかのような認識が散見されます。

 世界経済の潮目も現場の実態もどんどん変わっていきますし、比較優位の大原則からすれば、一国の貿易財産業に全勝も全敗もありえません。結論ありきで暗い話ばかり並べるようなことはせず、統計と現場の両方から冷静に分析してほしいと思います。

 すると、日本の製造業は復活しつつある。

 むろん、すべての部門ではありませんが、設計や生産の比較優位を持つ複雑な製品の国内現場の多くは、ここ数年復活しています。

 そもそもグローバルな産業競争は、各国の現場が国際賃金差や為替レートの有利不利を背負って戦う、言わばハンデ戦ですが、ハンデ抜きの現場の地力、つまり「裏の競争力」では、我々が実際に測定してきた物的生産性やリードタイムや製造品質の数値を見る限り、日本の優良現場の多くは、ポスト冷戦期を通じて、ずっと勝っていました。

 さすがにハンデ付きの「表の競争力」では、賃金が中国の20倍以上というポスト冷戦期当初の極端な国際賃金差等をひっくり返せず、負けが込んでいましたが、ここ10年ほどの新興国の賃金高騰と円高是正でその賃金ハンデが縮小し、産業によっては、従来から生き残りのために生産性を大幅に向上させていた多くの国内工場が「勝てる現場」として復活しつつあります。「製造業の復活」とはこうした競争の論理を伴うもので、単なる勝った負けたではありません。