三菱電機は炊飯器から人工衛星まで、極めて多岐にわたる製品を展開。その事業の多様性からかつては「総花経営」と揶揄され、みずからも事業の遠心力をうまく統御できずに、存亡の危機に陥ったことさえあった。
しかし21世紀の幕が開いた2001年を境に、「強い事業をより強くする」したたかでアグレッシブな企業体へと転換を始める。以来10数年、かつて華々しく自己を誇示していた日本のエレクトロニクス企業が、IT化とコモディティ化の波に飲まれ沈みゆく中で、三菱電機は「地味だが堅実」「目立たないが優等生」とその存在が注目され、総合電機トップとしての時価総額や収益力が再評価されている。
いま我々が同社に対し着目すべきは、①多様な事業に共通する根っ子を見出し、②根張りを強くし、③その基盤の上に総合力を発揮して、④強みと強みを組み合わせ、⑤社会ニーズの的を射る経営へと組み替えつつある点だろう。グローバル化ブームで、一時、日本を席巻したアメリカ型MBA経営の信奉ではなく、日本人の強みを活かす経営の再構築を三菱電機に見出せるのではないか。
柵山正樹社長は「2020年の創業100周年までに売上高5兆円、営業利益率8%以上」という目標を掲げ、達成に向けてステップをもう一段上げようとしている。「景気の変動に対してロバスト(しなやかで強靱)な体質をつくり上げる」というトップの意志、そして、「バランス経営」の実践について聞いた。
目標の意味を直感的に理解した時、
現場の行動は劇的に変わる
編集部(以下青文字):2017年はトランプ米大統領が登場したり、激変要素が増えたりしそうです。創業100周年までに達成する数値目標ですが、前倒しという話もありますが、期待できますか。
柵山(以下略):変動要因はたくさんありますから簡単ではないと思います。中期的には為替レートもかなり振れるかもしれません。前倒しよりも、不確実な変化の中で確実に2020年度の目標を達成する会社にしたいと考えています。
柵山さんは電力システム畑のご出身ですが、専務執行役の時に全社の経営計画の立案も担当されていました。100周年までにどんな企業体にするかを企画されていたわけですね。
2014年の社長就任時に宣言したように、「社会から評価され必要とされる企業でなければ、成長することはもちろん存続することさえできない」ということに尽きます。ですから、2020年にはいま以上に社会から必要とされる会社になりたいという一念です。その思いは、山西(健一郎)社長(現会長)から引き継いだものです。
当時、山西さんが「グローバル環境先進企業を目指す」というビジョンを掲げた時、それこそが当社の強みを活かし、成長し続ける道だと思いました。ただし、それを実現するには、我々が技術力を発揮しながら事業をグローバル展開していく中で、「持続可能な社会」と「安心・安全・快適な暮らし」を両立させる道を見つけなければなりません。その解となる製品やサービスを社会へ提供していくことを目指すということです。
柵山さんは「尊敬する経営者」として、山西さんをはじめとする「歴代社長」を挙げていらっしゃいます。それぞれから何を学ばれましたか。
それを語ると長くなりますよ(笑)。ただ、皆さんに共通するのは「わかりやすいメッセージを発する」ということです。「強い事業をより強く」とか、わかりやすい言葉でどう伝えるか。もう一つは、従業員に優しいということ。トップが人を尊ぶということは、企業経営において非常に重要です。この2つは当社の文化として引き継いでいかなければならないと肝に銘じています。
三菱電機が存亡の危機を迎えた時期は、2001年から2002年ですが(図表「三菱電機の歴代トップと業績推移」を参照)、その前の1997年から98年も大変でした。20世紀末、21世紀初頭と2回の危機的状況がありましたが、当時、柵山さんは状況をどう感じていましたか。
20世紀の終わり頃、私が発電機の設計課長から部長へと昇進する時期に、大事なお客さんである電力会社が電力自由化で設備投資を大幅に抑制され、私たちは厳しい合理化とコストダウンを求められました。これまでと同じことはやっていられない。そこで、私が担当していた発電機の構造をガラッと変えて、大幅なコストダウンに取り組み始めました。