特集『コロナは音楽を殺すのか?』(全11回)は、レコード会社、プロモーター、ミュージシャン、作詞家・作曲家、舞台スタッフ等、音楽業界のさまざまなステークホルダーへの取材を基に「有史以来最大規模の危機」に直面する音楽業界の現状に迫る。4大ロックフェスのひとつ「サマーソニック」を主催するクリエイティブマン・プロダクション代表の清水直樹氏。#06では、コロナ後において世界初の数万人規模の音楽フェス開催を控える清水氏に、音楽ファンが知らない「音楽業界の常識や裏側」を語ってもらった。(ダイヤモンド編集部編集委員 長谷川幸光)
本特集に先駆けて配信した、音楽プロモーター大手、クリエイティブマン・プロダクション代表の清水直樹氏へのインタビュー記事『サマソニ主催者を直撃!コロナ後世界初の数万人規模のフェスを開催する理由』(6月20日配信)は、音楽ファンや業界関係者を中心に大きな反響を呼んだ。その多くは、清水氏の決意を支持する意見だった。本インタビューでは趣を変え、音楽プロモーター同士の関係性、4大ロックフェスのひとつ「サマーソニック」を始めた経緯と変遷、そしてコロナ禍における会場選びなど、音楽プロモーターから見た音楽業界の裏側について、清水氏に語ってもらった。
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サマソニを始めたきっかけは、
嵐の初回フジロック
――音楽プロモーター同士、やはりアーティストの奪い合いは起こりますか?
もちろんありますね、それはもう。私は取り合う方なので、取られると「チクショウ!」と思うことはよくあります(笑)。
ただ、音楽プロモーター同士は意外と仲が良かったりします。特に現場はそうですね。手掛けるライブをお互い見に行ったりもします。
――「フジロックフェスティバル」など国内のほかの音楽フェスには行ったりするのですか?
もちろんです。フジロックもよく行きますよ。海外のフェスと重なり1、2回ほど行けなかったことがありますが、それ以外はほぼ毎年参加しています。だから実は「フジロッカー」でもあるんです。日高さん(フジロックを主催する音楽プロモーター、SMASH代表の日高正博氏)に会うときちんとあいさつもします。最近はあいさつに来ないなと言われたので、次は絶対に行かないと(笑)。
――サマソニを始めた経緯を教えてください。
1997年、フジロックの第1回が富士山の麓の「天神山スキー場」で開催されました。私はそのとき、グリーンデイという米国のアーティストのナビゲート役として参加していました。フジロックのチームの一員として参加していたんですね。
でもご存じのようにあのとき、2日目は台風で中止となりました。2日目に出演予定だったグリーンデイもほかの出演者と同様、ライブはできずに帰国することとなりました。そのとき、彼らが会話の流れで私にこう言ったのです。