低インフレゆえに日本銀行が
金融緩和を続けバブルを醸成した80年代
人はとかく忘れやすい動物だ。
物価安定は大事だが、金融政策運営において、過度にインフレ率にウエートを置き過ぎると金融的不均衡の蓄積につながり、結果として、低い潜在成長率をもたらし経済厚生を引き下げる、というのが80年代後半のバブルの教訓だったはずだ。
インフレ率が低いから中央銀行が国債購入を続けるというのは、結果として、財政の中央銀行依存をさらに強め、一段と低い成長率をもたらすことになるのではないか。
インフレーション・ターゲット論が唱えられ始めた初期の頃、多くの人が懸念したのは、インフレ目標の達成にこだわるあまり、金融を引き締め過ぎることで実体経済を悪化させ、完全雇用を維持できなくなることだった。
そうした批判に対し、主流派経済学は、インフレーション・ターゲットは政策決定の透明性と説明責任を高めるためのツールであって、物価安定のための厳格なルールではなく、雇用など実体経済に十分配慮した「限定された裁量」であると解説していた。
しかし、主要中央銀行が導入する頃には、すっかりインフレの時代は終わっていた。過去20~30年にわたって繰り返された問題は、インフレ目標を達成するために、金融を引き締め過ぎることの弊害ではなかった。
掲げた目標まで現実のインフレ率が上がらないため、金融緩和を続けることで、金融的不均衡が蓄積され、結果として低い潜在成長率と低いインフレ率がもたらされたことだった。
実は、インフレーション・ターゲット前史の日本銀行が最初にこの問題に直面した。1980年代後半に低インフレの下で、日本銀行は金融緩和を続け、それがバブルの醸成につながった。
もちろん、プラザ合意後の急激な円高を回避するため、あるいは、ブラックマンデー後の国際金融の安定を図るため、日本銀行が強い緩和プレッシャーを受けたのは事実である。
しかし、当時、インフレ率そのものが極度に低かったから、物価安定を重視してきた日銀は利上げを正当化することができなかったのである。