清張先生は働くことが大好きでした。いや、文章を書くことが好きで好きでたまらなくて、それが仕事だという感覚もなかったのだと思います。そのせいか、働き者の担当者が好きでした。

 どういうわけか、私は「休むことが嫌いな」編集者だと思われていたようです。

 毎週連載がある先生には、休日がありません。自分でどうしても調べたいことがあっても、自由に動けません。なので自由になる日、印刷所が動かない年の暮れが近づくと、「木俣くんは休みが嫌いだったよね」という前置き付きで、取材旅行のお誘いがかかります。

 目的地は北九州・小倉。清張先生の芥川賞受賞作は『或る「小倉日記」伝』。小倉に駐在していた軍医・森鷗外(もり・おうがい)の日記の謎の部分を追及する男の物語ですが、その後も謎の部分が出てきます。

森鷗外(もり・おうがい)のお手伝いさんは
「愛した女性」だったか否か

 それは、日記の中に出てくる鷗外(おうがい)の婢(お手伝い)のモトさんについてでした。『或る「小倉日記」伝』を書いたころには、日記の一部に貼り紙があり、その下の部分は公開されていませんでしたが、その貼り紙の下の部分が公開されました。

 それは、清張さんの想像をかきたてるものでした。モト女は、単なるお手伝いさんではなく、鷗外(おうがい)は女性として愛していたのではないかという疑問です。

 毎年のように、モトさんの親戚探しをしました。12月31日始発の飛行機で博多に降り立って、小倉を回ります。まずはお寺です。しかし、森鷗外(もり・おうがい)その人ならともかく、そのお手伝いさんであったモトさんの菩提寺を探すのに一苦労。しかも、当時の清張先生は大スター。いきなり地方のお寺に清張先生が現れるものですから、取材目的はそっちのけで、ご住職が長々としゃべり始めるので、なかなか仕事は終わりません。