たとえば、ノートパソコンの「要求機能」の一つに、「軽くて持ち運びができること」がある。これに対して日本のメーカーは、「どうすれば今のパソコンをより軽く作ることができるか?」を、はてしなく追求した。

 ところが、アップルのような企業は違った。ハードディスクやCDドライブといったパソコンの核となる部分に注目し、「それは、なんのためにあるのか?」「それは、本当に必要なのか?」という質問ができたのである。

「データを保存するため?」

「でも、今はネット上にデータを保存できるよね」

 そうして、ノートパソコンからCDドライブややDVDドライブを取り外し、「Mac Book」や「iPad」のような新しい商品を作ってしまった。この発想こそ、長年、日本に欠けていたものだろう。

文系的発想と
理系的発想はここが違う

 Aという目的があって、Bという手段を用いる―。

「What to do」で思考する結果、生まれるのは、そうした最も単純な図式である。

 しかし、次にエンジニアに要求されるのは、実現できる確率を考えることだ。実現の確率がゼロのものを考えても、ビジネスにはならない。

 たとえば、あらゆる機械には“安全率”というものがある。棚であれば、「耐荷重10キロと書いてあるが、じつはその5倍までなら耐えられる」という余裕のことを安全率5という。

 電化製品であれば、「寿命10年といわれているが、じつはその2倍までの期間なら安全に使用できる」という余裕のことを安全率2という。

 なんのために安全率を定めるかといえば、ユーザーを危険にさらさないためだ。エンジニアは通常の安全が保証される数に、3をかけたり4をかけたりして、「まず事故が起こらないだろうレベル」を安全な数値として設定する。