表出する女子力を抹消したい
レジ袋に自己表現を求める女性

 Aさん(33歳女性)は、やり手の勤め人で、身だしなみにも隙がない。値踏みしがいのありそうなスーツと小物で身を固め、ロングヘアをなびかせてオフィス街をさっそうと歩く。
 
 さぞや女子力も高そうと思わせるAさんだが、“女子力”なるパラメーターの存在を嫌っているようである。自分以外の女性の女子力が高いことに関しては素直に尊敬するが、自分が例えばそこそこ料理ができるとしてもそれを“女子力”というくくりで論じられるのが嫌だそうである。
 
 「女性社会には、しっとりした感じがあると私は考えていて、自分の性格に陰湿な部分があるのも自覚していて、それが『女性っぽい』と感じ、なるべく直したい。理想では、もっとサバサバした性格でありたいと願っている」(Aさん)
 
 昔から世間では、性格の一部に見られる、ある種陰湿な部分を評して「女々しい」などと言われてきた。ただ、陰湿な部分は男性も持ち合わせており、なおかつ現代では性別は「男」と「女」できっぱり分かれるものではないとも言われているので、性格を言葉で表現する時の「女性っぽい」や「女々しい」は現代にそぐわない感も出てきている。「女性っぽい」という言葉の使いどころは賛否あろうが、ここではひとまずAさんが自分についてこの言葉を用いているだけなので、その点お含みおき願いたい。
 
 さて、Aさんのこのような逡巡が、レジ袋有料化と何の関係があるのかと思われた向きも多いだろう。話はマイバッグに移る。

 レジ袋有料化に伴って、マイバッグの利用が広がった。さまざまな店でマイバッグが積極的に売られるようになったし、企業がコンビニとコラボして「ある条件を満たして買い物をすればオリジナルマイバッグ差し上げます」といったキャンペーンも行われていて、筆者もひとつゲットしたが、デザインが良くて気に入っている。マイバッグをファッションとして楽しもうとする潮流は、レジ袋有料化に際して生まれた人類のポジティブな知恵、かつ歓迎すべきもののひとつである。
 
 しかしAさんはこれが嫌らしい。正確には、その流れ自体が嫌なのではなく、自分がマイバッグを持つのが嫌なのである。
 
 「これも女子力に関係する事柄。マイバッグを持っていると女子力が高いというか、持っていないと低い気がしている。マイバッグを持つということは『小銭も節約しつつファッションも楽しんでいる』ということ。つまり安定した家庭を運営していく女性像にもつながっている…気がする」(Aさん)
 
 Aさんが「気がする」と連呼している通り、あくまで彼女個人の感想である点もお含みおき願いたい。
 
 しかし、言わんとしていることはわからないでもない。マイバッグの有無ひとつで他人の人格をそこまで突っ込んで断定する人は少なかろうが、Aさんの言う通り「節約に最低限の関心があって、レジ袋有料化という環境の変化にも前向きに適応しようとしている」くらいのプロファイリングは可能であり、このプロファイリング結果は――かなりの力技ではあるが――良妻賢母の像につなげようと思えばつなげられるのである。
 
 だからAさんは、マイバッグを決して持とうとしない。
 
 「女子力をうかがわせるものは持ち歩けない。毎回数円のコストがかかろうが、必ずレジ袋を買い求めている」(Aさん)
 
 そしてステージは次に移行して、最近ではむしろレジ袋を持つことが快感になってきているようである。
 
 「色気がなく、品なくガサガサ音の鳴るレジ袋は女子力との決別を示しているようで、もはや誇らしい」(Aさん)
 
 2カ月前まではレジ袋を持ち歩くことにここまでの意味を持たせることはできなかった。環境を自己表現に利用するAさんのしたたかさがうかがえる。