視覚障害者で「ユーモア」というアプローチをとる人にも出会った。たとえば難波さんは、どれも同じ形状のパックなので開けるまで何味かわからないレトルトのパスタソースを、「運試し」と捉えて楽しんでいる。「情報」の欠如による自由度の減少を、ポジティブにひっくり返しているのである。もちろん、障害者の人たちが常にユーモラスであるわけではないことは承知の上で、こうしたユーモアはやはり障害者へのイメージを大きく覆すものに感じられる。

 かれらのユーモアは「痛快」なのだ。健常者の社会や価値観そのものが障害者によって相対化されるからである。笑いのジャンルとしては自虐に近く、ネタに「障害」が含まれることから、健常者たちは「痛」みを感じる。しかし同時に、私たちの心の「つかえ」が取れたような「快」い気分にもさせてくれるのだ。

 精神分析の父であるフロイトは、感じるつもりだったネガティブな感情が行き場を失って的外れなものになる状態を、「感情の消費の節約」と呼んだ。パスタソースの例でもこの「感情の節約」は起きている。見えない人の一言が、健常者が抱く同情や配慮をあっさりと吹き飛ばすからだ。

 障害者への配慮は大切だが、行き過ぎた配慮は関係の緊張を生む。ユーモアはこうした関係をほぐし、文化的差異を尊重するコミュニケーションの端緒に立たせてくれる。

◇障害とは何か

 一般に「障害」は、その人の身体的、知的、精神的特徴を指していると思われている。こうした「できなさ」「能力の欠如」としての障害のイメージは、産業社会の発展とともに生まれたとされる。大量生産、大量消費の時代において労働の画一化が起き、「交換可能な労働力」を期待されるようになった。障害者は「それができない人」と見なされ、「見えないからできること」ではなく、「見えないからできないこと」に注目が集まるようになってしまった。

 こうした障害のイメージは、1980年ごろから世界各国で見直されるようになる。2011年に公布・施行されたわが国の改正障害者基本法では、障害者は「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」と定義されている。障害の原因は個人に属するのではなく社会の側にあるとする、「社会モデル」への転換が起こったのである。