賢いトップの弱点とは?
3タイプそれぞれのリスク

 では、それぞれのタイプの欠点とは何か。

 まず、「能吏タイプ」は多くの場合、賢さが前に出てしまい、周りを萎縮させる。特にトップにまで上り詰めてしまうと、誰もその知性に対して挑戦しなくなるので、この人の知性の枠組みと優秀さのレベルが会社全体の限界となってしまう。

 このタイプの長所は見えているものをうまく整理することにあるから、その思考が社会の時代認識にマッチしている間はよいが、そこが時代に合わなくなるとことごとく判断の的を外すことになる。往々にして社会のパラダイムチェンジに乗り遅れてしまう。

 少々の論理的矛盾や間違いは気にしないフリができるようになれば、皆が気楽に話せるようになるのだが、そう簡単に人は変われない。能吏タイプのトップの前では、多くの人が失語症になってしまう。切れ者と言われるような社長はたいていこのタイプだろう。

「革新タイプ」は、主にベンチャー企業の経営者として出現する。この人たちは、本質的かつ洞察的でとても賢い。しかし時代を先取りしすぎるがゆえに、自社の組織だけでなく、消費者さえもついていけないことがあり、成功することもあるが失敗もする。したがって、一度の失敗ですら命取りになる大企業では、通常は出世レースで生き残れない。一方で、一つの事業で大ホームランをかっ飛ばし、傍流路線から一気に注目されトップに登用される人もいる。番狂わせ人事といわれるものである。

 ところで、洞察力や本質を見抜く目というのは、いかなる状況下においても機能するのか、あるいは限界があるのか。その見極めは難しい。ドラッカーは、『イノベーションと起業家精神』で、万能の天才レオナルド・ダヴィンチを評して、かの天才であっても美術の世界以外において、その天才性は大きな成果を生まなかったというような意味のことを言っている。私の感覚もこれに近い。

 天才性は天才性が発揮できる場所というのがあり、いつでもどこでも発揮されるものではないと思う。したがって、こうしたタイプの天才を、複合事業を営む大企業の経営者として起用することはリスクがかなり高いといえるだろう。