「紐帯タイプ」は、一般的に人気がある。偉くなっても偉ぶらず、与謝蕪村の俳句のように、「実るほど頭を垂れる」のだからそれも当然であろう。しかしながら、このタイプの人は少し過大評価されているのではないか、と私は考えている。
上手にコンセンサスビルディングすることで、組織全体の持っている力を活用できるので、何をやっても結果は悲劇的にはならない。どんな人の話も傾聴するから誰もその人を悪く思わない。しかし、そもそも重視する視点が外部への適応ではなく、内部の統合に向いている時点で、今のような大変革期のトップにはふさわしくない人材だといえる。
ただ、「紐帯タイプ」の中でももっとも賢い人は、組織を筋肉質にする場合は「能吏タイプ」を、変革する場合は「革新タイプ」を組織の内外から見つけてきて抜擢し、一定期間その人物を手のひらで泳がせて、成果を生み出させるように仕向ける。ここまで出来ると紐帯タイプのレベルを超えて、達人の領域である。
「理想のトップ」は
どのタイプなのか
トップの選択は難しい。「能吏タイプ」は常に頭の中が整理されており、必要となる数字も認識しているから、説明能力が極めて高い。したがって、社外取締役などから見ると安定感もあり魅力的に見える。しかし過去から現在にわたる情報の整理分析ができるからといって、現在とは断絶した未来に向けて、効果的な意思決定ができるかどうかはわからない。
状況の整理が得意ということは、整理の体系に合わない事象を誤差や例外事項として無意識のうちに排除している場合も多く、例外事象であったはずのものがメインの事象に転換する社会変化への柔軟な対応能力が問題になることがある。イノベーションはこれまで切り捨てられてきた価値観の中から起こることが多いのだ。
「革新タイプ」の革新性や洞察力は、必ずしも全方位ではないとすでに述べた。大企業のトップのように、包括的に全体を見なければいけない場合、事業フェーズや力を入れるべき勘所の違う他事業のことはあまり理解できず、安定運用をさせておけばよい事業に無理やり本質的な観点からの改革や革新を要求し、組織活動を崩壊させてしまう可能性もある。ポートフォリオ的なバランス視点と天才性のゆえんである洞察性が同一人物の中にあれば良いが、その両立はなかなか難しいように思われる。
「紐帯タイプ」は取り巻きの参謀たちが優秀であれば機能するが、そのレベルが低いと自分では何もできない。レベルの高いブレーンを引き付けるには、当人の志や人格などが高いレベルで安定していることや、ブレーンにとって仕事そのものの面白さややりがい、達成すべきゴールの魅力などが中長期にわたって維持されることが必要だが、それもまた難しい。さらには、ブレーン間の勢力争いや寵愛レースなどにより参謀間の軋轢(あつれき)を起こさないようにすることが必要となるが、その予防や解決には相当の注意を要する。
上記のように、トップをさせるには一長一短がある“賢い人”だが、一定以上の規模を持つ日本企業の組織にとってもっとも好まれるトップは、本当は「能吏タイプ」でも「革新タイプ」でも一定レベル以上である人が、その能力を隠し自己を抑制してあえて「紐帯タイプ」のように振る舞う場合である。小説、漫画、映画などでよく知られている『三国志演義』の劉備や、さらに前の時代では『項羽と劉邦』の劉邦が人徳のある理想のトップとして描かれることが多いのも納得できる。
ただ、理想のトップとして描かれているということは、「実際にはそのような人がいない」ということの裏返しと言えなくもない。このような人を育てていくためにも、まずは「能吏タイプ」でも「革新タイプ」でも「紐帯タイプ」でもよいので、可能性のある人をプールしておき、多様な能力開発の機会を積極的に提供して、優秀なトップ候補を多く作ることが必要だ。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)