9月15、16日の週末、中国に反日の嵐が吹き荒れた。山東省青島では、暴徒化したデモ隊が店舗や工場を破壊・放火するなど前代未聞の事態に発展した。尖閣問題を収束させる道はあるのか。(「週刊ダイヤモンド」編集部 前田 剛、宮原啓彰)
満州事変勃発の発端となった柳条湖事件から81年目に当たる9月18日、尖閣諸島周辺の洋上は緊迫した空気に包まれていた。前日、浙江省から約1000隻の漁船が尖閣諸島目指して出航し、中国政府の海洋監視船と漁業監視船も同海域に向かっていた。対する日本も海上保安庁の巡視船を多数派遣、警戒に当たっていた。
18日午前6時50分ごろ、中国の監視船が尖閣諸島の接続水域(領海の基線から24カイリ=約44キロメートルの範囲の水域)内を航行しているのを海上保安庁の巡視船が発見。その後、計12隻の監視船が接続水域への出入りを繰り返し、うち3隻は領海まで侵入して示威行動を展開した。
同日朝、上海の日本総領事館周辺も緊迫感に包まれていた。夜の間に周辺道路の歩道にはバリケードが設置され、中央分離帯にも柵が立てられ、武装した警官が整列している。まさに厳戒態勢だ。
中国では「九一八事変」と呼ばれるこの日は、ただですら反日感情が高まる。そこに尖閣国有化という“油”を注いだ結果、反日感情はピークに達していた。
午前10時すぎ、デモ隊が姿を現すと、通りに緊張が走った。ところが、である。その日のデモ隊の様相は、破壊行為が横行した他の都市のそれとは明らかに違っていた。大声で反日のスローガンを叫んではいるものの、先導する公安の指示に従い整然と歩いていく。「まるで祭りの行列のようだった」と、デモを間近で目撃したある日本人は言う。