アメリカにおける禅の始まりは、臨済宗の僧、釈宗演がシカゴで開催された万国宗教会議に出席した1893年9月に遡る。

 釈は、日本人の禅師として初めて「禅」を“ZEN”として欧米に伝えたことで知られるが、その後、自分の代わりに、英語が堪能な弟子であった鈴木大拙をこの地に遣わせた。鈴木は、ご承知の通り、禅や仏教に関する著作を英語で著し、東洋思想について海外に広く知らしめた。

 鈴木に続き、釈宗演の後継者である釈宗活の下で修行した佐々木指月が、米国仏教協会(現米国第一禅堂)をニューヨークに創設し、アメリカにおける禅宗の普及に大きな影響を与えた。

 スティーブ・ジョブズが、30余年にわたり、曹洞宗僧侶、乙川弘文氏から禅を学んでいたことから、座禅や瞑想から派生した「マインドフルネス」が注目されるようになり、シリコンバレー発の起業家たちや進歩的な経営者に広がっていく。

 有名どころを挙げると、セールスフォース・ドットコム創業者のマーク・ベニオフ、ペイパル創業者のピーター・ティール、リンクトイン会長のジェフ・ウェイナー、ニュースサイト『ハフィントン・ポスト』創設者のアリアナ・ハフィントン、元モンサントCEOのボブ・シャピロ、パンダエクスプレスCEOの程正昌などは、熱心な実践者である。

 また、グーグルやアップル、フェイスブック、ヤフーをはじめ、IBMやインテル、セールスフォース、国防総省、日本ではメルカリやSansanなどが、マインドフルネスや瞑想のプログラムを導入している。

 マインドフルネスとは、大乗仏教諸国において経典に使われるパーリ語の「サティ」の英語訳で、日本語では「念」とか「気づき」と表現される。期待される効果は、集中力や生産性の向上、ストレスの低減、良好な人間関係などが報告されている。

 今回インタビューした山田匡通氏は、高校生の時から参禅しており、現在は「マインドフィットネス」というビジネスリーダー向けの禅を指導している。山田氏によれば、自分と他人とを隔てる垣根が次第に低くなり、自分と他人、さらには自分と周囲とが一つの世界に近づいていくことこそ禅の本質であるという。その結果、利他や他人を思いやる心が自然に育まれる、エゴや思い込みといった我執が影を潜めていく、創造的なひらめきが得られる、迷いや悩みが静まるなど、いわく「禅はいいことずくめ」だそうである。

 いまマインドフルネスという形で、日本に逆輸入された禅について、ビジネスリーダーであり、また禅師でもある山田氏にレクチャーを仰ぐ。

他人との垣根が低くなると
利他の心が涵養される

編集部(以下青文字):昨2019年、101歳で死去した中曽根康弘氏は、総理時代には決まって日曜日の夜、臨済宗の禅寺、全生庵に赴き、137回座禅を組んだそうです。山田さんは、高校生の時から座禅を組まれていたそうですが、その効用について教えてください。

日本型ビジネス禅<br />「マインドフィットネス」のすすめイトーキ 代表取締役会長 グローバルツリーハウス 共同創業者・取締役 山田匡通MASAMICHI YAMADA慶應義塾大学経済学部卒業ののち、三菱銀行(現三菱UFJ銀行)入行。ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。三菱銀行常務取締役、東京三菱銀行常務取締役、同専務取締役投資銀行本部担当、三菱証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)代表取締役会長、東京急行電鉄常勤監査役を歴任し、2007年6月より現職。また、医療法人社団こころとからだの元氣プラザ理事長、財団法人東京顕微鏡院理事長、宗教法人三宝禅管長、公益法人日本ファシリティマネジメント協会(JFMA)会長を兼ねる。

山田(以下略):リーダーに要求される資質はいくつかあるかと思います。禅の実践によって起こることを敷衍しながら、リーダーの資質との関連についてお話ししてみたいと思います。

 まず、禅を実践することで何が起こるのか。何より決定的なのが、「自分と他人を隔てている垣根が次第に低くなる」ことです。もちろん、完全になくなるわけではありませんが、座禅の実践を継続していると、他人との垣根が次第に下がっていく、あるいは他人との境界が次第に薄まっていくのです。ちなみに、自他の垣根が完全になくなる体験を、禅の世界では「見性」(自分の本性を見る)、もしくは「悟り」といいます。

 道元禅師は、著書『正法眼蔵』の中で、「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり」と述べています。自己を忘れ、自他一つの世界を発見するところに禅の本質があると言ってよいと思います。

 最近、「利他」「利他的」という言葉がよく聞かれるようになりました。京セラ名誉会長の稲盛和夫さんなどは、ずいぶん前からその必要性を訴えられていますが、私もまさしく、利他の精神はリーダーに求められる最も重要な資質だと考えます。

 人間はとかく自分がかわいいものです。要するに、利己的な存在です。ですから、利他の精神を涵養すると一口に言っても、そう簡単ではありません。ですが、禅の実践を継続すると、他人との境界が次第に薄まり、道徳や倫理の教えによるものではなく、自然に利他的に考えられるようになっていくのです。

 イギリスの科学ジャーナリスト、マット・リドレーの『徳の起源』(翔泳社)によれば、そもそも人間は生まれながらに利他的であるそうです。

 それは、人間というものが本来、自他の区別のない一つの存在だからです。先ほど申し上げましたが、この世界を体験的に発見することが見性または悟りです。禅には、そのほかにも副次的なメリットがあります。集中力が高まる、気持ちが落ち着く、物事に動じなくなる、不屈の精神が醸成されるなどです。また、自意識が強く、悩みの多い人も次第に解消されていくでしょう。簡単に言うと「強く、清く、温かな心をつくる」ことができるのです。

 いいことずくめに聞こえるかもしれませんが、本当にいいことずくめなんです(笑)。私は、大学では数理経済学を専攻し、アメリカのビジネススクールで合理主義を叩き込まれましたが、禅はその上を行くものだと自信をもって申し上げます。

 誤解のないように申し上げると、禅は、自己を抑制したり、自己を犠牲にしたりするものではありません。それだと、結局のところ長続きしません。また、テレビなどに出てくる、座禅の最中に集中が切れた人の肩を、禅師が警策でパシーンと叩くというのは、私の主宰する禅会ではやっていません。

 また、座禅について、よく「無念無想」などといわれますが、生きていて脳が活動している以上、無念無想ということはありえません。座禅中、いろいろなことが浮かんできますが、後で述べますように、これを悪いものと考える必要はありません。

 自己を忘じ、自他の境界を薄め、自他一体の世界に近づくことにより、自分のことだけではなく、自分と他者、取り巻く環境を含めた「全体」のことを考えられるようになる。これが禅の本質です。