『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』が10万部を突破! 本書には東京大学教授の柳川範之氏が「著者の知識が圧倒的」、独立研究者の山口周氏も「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せ、ビジネスマンから大学生まで多くの人がSNSで勉強法を公開するなど、話題になっています。
この連載では、著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
[質問]
以前の記事から察するに読書猿さんはPDCAをあまり評価されていないように思いました。
解答から察するに読書猿さんはPDCAをあまり評価されていないように思いました。どうしてでしょうか? 昨今「PDCAはもう古い」という話をよく見ますが、読書猿さんのお考えをお聞きしたいです。
「文脈を考えて利用しよう」が私の考えです
[読書猿の回答]
PDCAがダメというより、文脈を無視した利用は不幸な結果をまねきがちだということです。
PDCAが生産管理の場から生まれたのは偶然ではありません。
そこでは毎日たくさんの製品が生み出す生産ラインが前提としてあります。すなわち何を作るかに基づくラインの設計がPDCAのP (Plan)に、ラインの稼働がPDCAのD(Do)に、製品が不良品でないかどうか点検するのがPDCAのC(Check)、不良品を減らすための対策がPDCAのA (Action)にあたります。
さて、発祥の地(文脈)を離れたことでPDCAの神秘化と不能化がはじまります。
たとえば毎日生産されるたくさんの製品をCheckでき日々改善を重ねられたPDCAが、1年という長いスパンでしかCheckが入らない事業年度型PDCAに改変されると、すぐに始まる次年度のための計画Planづくりに対策のためのActionは飲み込まれ、ただ前年度比で数値目標を微増するだけのコピペPlanが繰り返されることになりました。
あるいは生産ラインの設計という形で共通前提として与えられたPlanを欠いた事務方PDCAでは、Planをつくること自体もメンバーに丸投げされることが多く、修正すべきは行動なのか認識なのか切り分けることなくまとめて叱りつける方便としてPDCAが使わる始末です(「PDCAがなっとらん」と言っておけばどちらも含まれるだろうという訳です)。
つまるところ、PDCAをわざわざ回しているなら、本来の文脈を逸脱しているはずです。生産管理以外の場面への応用は否定しませんが、余分な負担の要らない別の方法がいくらもあるはずです。