作家・堺屋太一
 元通商産業省の官僚にして、作家、評論家として活躍、経済企画庁長官として政治の世界でも存在感を発揮した堺屋太一(1935年7月13日~2019年2月8日)。85年12月28日号(86年の新年号に当たる)の「週刊ダイヤモンド」には、「“知価革命”と新経営者像」と題された堺屋の談話記事が掲載されている。

 この年、堺屋は代表的著作の一つである『知価革命』(PHP研究所刊)を著したばかりだった。記事の中で堺屋は、著書に沿ったかたちで「知価革命」について、詳しく説明している。80年代に入り、人々の美意識と倫理観が変化し、さらに産業革命以来、主として大型化、大量化、高速化に向かっていた技術進歩が、多様化、情報化、省資源化の方向へ変わっていると指摘。これこそが、知恵が値打ちを生み出す「知価革命」の始まりであり、工業化社会とは全く違ったパラダイム(社会規範)の転換の中で、経営者に求められる才能も大きく変わってくると堺屋は言う。

 詳しくはぜひ、本文を読んでみてほしい。35年前の指摘とは思えないほど、的確に今を言い当てている。まだ一般にはパソコンやインターネットはおろか、ワープロもろくに普及していない時代である。原著である『知価革命』はもちろんだが、今回再録した記事を読むだけでも、堺屋の先見性に驚くはずだ。

 もっとも、堺屋より以前に、こうした未来予測が存在していたのも事実である。代表的なのがピーター・F・ドラッカーだ。ドラッカーは69年に刊行した『断絶の時代』(ダイヤモンド社刊)の中で、65年ごろから「断絶」と呼ぶべき時代の大転換が始まっていると警告を発している。具体的には「新技術、新産業の誕生」「グローバル経済の出現」「政府の無力化と、社会と政治の変化」などとともに、最も重要な指摘として「知識経済への移行」を挙げている。「すでに知識は、中心的な資本や資源を意味するようになった」として、この転換期は25年ごろまで続くとドラッカーは喝破している。

 堺屋も、ドラッカーと同様の「次なる社会」の到来を、極めて具体的に予見していた。それを「知価革命」という言葉で表現してみせたともいえる。

 興味深いのは、堺屋が記事中で「この知恵の値打ちが主流になる、という傾向は、日本よりも米国の方が先行しているように見える。最近の米国のニュービジネスは、知恵の値打ちをつくる方ばかりやっている」と語っていること。しかし、その一方で米国は「モノをつくる方がおろそかになってきた」とも指摘している。「現在、米国で起こっているのは、知恵は生産するが、それを入れる容器の生産力が低下するという現象である。(中略)だから、米国で知恵の値打ちが生産されると、それがすぐ日本の会社で容器に入れて米国へ逆輸入されるという状態が起こっている。これが“米国産業の空洞化”といわれる現象である」。

 こうした分析は、いかにも当時の日本ならではの“自信”に満ちたものだ。85年といえば、製造業の輸出を中心にわが世の春を謳歌していた日本企業と、財政赤字と貿易赤字に苦しむ米国の間で、激しい貿易摩擦が取り沙汰されていた時代である。しかし、実際にはこの後の30年で、GAFAに代表される米国の知識集約型産業は世界を席巻し、日本はその後塵を拝することになる。正確な未来予測ができていながら、それを十分に生かし切れなかったのは、残念という言葉だけでは言い表せないものがある。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

美意識の変化が始まった!
「大きい」よりスリム、軽量

1985年12月28日号1985年12月28日号より

 1980年代に入ってから、世の中が大変に変わってきた。身近なことでいうと、例えば新幹線に乗り、グリーン車を見ると、背広姿の乗客が減って、ひげを生やした人がかなり増えてきている。これは、グリーン車に乗るような金回りのいい人の中にクリエーティブな仕事をしている人が非常に増えてきたことを意味しているのではないかと思う。

 また、東京でも大阪でも、街並みが大変きれいになってきた。個性的な商店が非常に増えてきている。70年代までは、目立つような新しい店といえば、だいたいスーパーマーケットとか百貨店という大きな店であった。それが、最近造られているのを見ると、中小商店の方が、大きな店よりしゃれた感じであることが多い。これも、大きな流れの変化だと思う。