なでしこジャパンを率いて、2011年FIFA女子ワールドカップで優勝を果たした佐々木則夫氏。個性豊かな女子選手たちをまとめ上げた手腕は、いまなお高く評価されている。その指導のプロセスには、学生が社会に出ていくときに参考になるヒントがたくさんある。(ダイヤモンド・セレクト「息子・娘を入れたい会社2021」編集部)

*本稿は、現在発売中の紙媒体(雑誌)「息子・娘を入れたい会社2021」の「Special Interview あの人が語る新しい時代の生き方・働き方」を転載したものです。

佐々木則夫 Norio SASAKI1958年山形県生まれ。帝京高等学校3年時に主将としてインターハイ優勝。NTT関東サッカー部でMFとして活躍。98年、大宮アルディージャ監督。2006年にサッカー女子日本代表コーチを務め、翌年監督就任。08年の北京五輪4位入賞、11年FIFA女子ワールドカップで優勝。同年アジア人初となるFIFA女子年間最優秀監督賞を受賞。19年日本サッカー殿堂入り。現在、大宮アルディージャ・トータルアドバイザー、びわこ成蹊スポーツ大学特別招聘教授、十文字学園女子大学副学長。

「なでしこジャパン(サッカー女子日本代表)がワールドカップで優勝したのは、東日本大震災があった年でした。今のコロナ禍のように、まさに誰も経験したことのない未曾有の事態で、振り返れば困難の連続でした。準備をしていた練習や試合ができなくなり、本番前にゲーム感覚が取り戻せるかどうかも不安でした。おまけに、あってはならないことですが、直前の韓国との練習試合が大雨で、私自身が風邪を引いて熱を出す始末。でもそうした状況を全て受け止め、練習にも工夫を凝らして本番に挑んだ。時として困難は“教師”となります。全てが計画通りにいくわけではない。これからは、考え方次第で差がついてくる時代になると思います」

身に付けた知識や技術が
判断のもとになる

 佐々木則夫氏(現・十文字学園女子大学副学長)が女子日本代表の監督に就任したのは07年のこと。東アジアサッカー女子選手権で初優勝、それが代表にとっての初めての公式タイトル獲得だった。続く08年の北京オリンピックでは第4位。そこで初めて「ワールドカップで優勝したい」という思いが選手たちの中に芽生えてきたという。

 佐々木氏は、夢をかなえるためには、目標を明確に立てることが必要だと考える。

「そもそも夢とは無形なものです。でも夢への思いを強く持って、やるべきプロセスを踏んでいくと、次第に形になっていく。そこで大切なのが目標を掲げるということ。どこに向かって進んでいくのかが分からないと、最初の一歩さえ踏み出せないのです」

 なでしこジャパンのチームづくりには、2年という歳月が必要だった。そこで行ったのは、チームの要となる「攻守にアクションをする」という戦術の徹底的な落とし込みだった。考えなくても体がオートマチックに動くようになるまで、厳しい練習を繰り返した。

 そうしたベースを築いた上ではじめて、選手たちは試合で判断ができるようになる。サッカーという競技は、自分が判断してプレーを選択することの連続で成立しているのだ。

「選手たちがピッチに出たら、そのゲームはもう選手たちのものです。いくら相手チームを分析してゲームプランを考えても、実際に試合が始まれば、予測不可能なことが次々と起こります。退場者も出るし、怪我人も出る。相手を見ながら判断して動くのは、選手たち自身。監督にできるのは、3枚のカードによる選手交代と、ハーフタイムに少し指示を伝えることくらい。試合中にピッチの外から叫んでいるのは、指示ではなくただのストレス発散です(笑)」

 社会に出ることもこれと似ている、と佐々木氏は言う。学校ではセオリーを学び、基本的な知識を身に付ける。実際に社会(ピッチ)に出たら、そのセオリーに従いつつ、自分で考えながら未知の状況に対応していかなければならない。つまり、本番で自在に動けるようになるためには、その判断のもとになる知識や技術のベースを身に付ける必要があるのだ。