湖底に沈んだ生家が「衣錦還郷」の原点となる

 時計の針を再び1世紀後の現在に戻そう。拍子抜けするほど質素な“生家”からクルマで数分行くと今度は、ダム湖のほとりに、映画で見る米国ビバリーヒルズの豪邸のような巨大な邸宅が見えてくる。重光が1972(昭和47)年に建てた別荘である。別荘も敷地も巨大で、外からは邸宅全体が見渡せず、湖へとつながる広大な庭は、隣接する公園との境目が分からないほどである。

 重光は、生家の移築と共に、ダム建設で散り散りになった集落の人々を捜し回り、集落の元住民からなる「芚期会」を結成した(『ロッテを創った男 重光武雄論』より)。 別荘が完成する年の前年の5月から、毎年原則として5月第1日曜日に芚期会の集会、実際には重光の費用負担で宴会を行うお祭りになった。連載第2回で述べたように重光が家出同然の状態で日本に渡ったのが1941(昭和16)年。それから30年で重光は、ダム湖に沈む生家を移築し、巨大な別荘を建てるまでの成功を収めたのだ。別荘の落成式で重光はこう挨拶した。

「遅ればせながら故郷にこのような建物を建てた。少しでも(故郷の)助けになってほしい」

 その言葉の通り、当初は80戸の集落出身者、数十人で始まった「芚期会」はやがて1700人以上が集まる大イベントとなり、この別荘と、隣接する公園は宴会場として大活躍することになる。お祭りの様子を、重光家の家族の記録から再現すると、大盤振る舞いの宴会の様子がうかがい知れる。

 宴は午前9時から始まる。招待された住民たちには豪華な料理と飲み放題の飲み物が用意され、それを味わい、歌い踊りながら楽しい時間を過ごす。ロッテが準備したプレゼントや旅費も支給される。シャイでマスコミ嫌いのため、公の場に姿を現すことがほとんどない重光が、この日ばかりは、別荘で客を直接出迎え、握手をし、会話まで交わすのだ。家族の目には、重光が沈んでしまった故郷の集落を歩いているように見えたという。集落の元住民やその縁戚にすれば、“生身”の重光が拝めて、プレゼントや旅費までもらえるのだから、参加者が引きも切らずなのは当然のことだった。

 この重光の行動こそが、朝鮮儒教の思想である「衣錦還郷(いきんかんきょう)」(故郷に物質的還元を行う)の体現といえる。字面を見ると、日本の「故郷に錦を飾る」と同じように見えるが、日本では成功者が故郷に晴れがましく戻るという意味なのに対し、朝鮮儒教の教えはむしろ、成功の果実は必ず故郷に還流させねばならないという責務に近いものに感じられる。

 実際、経営史に詳しい経済学博士の河明生(ハ・ミョインセン)は在日経営者、特に在日“一世”の創業者については、「『一世』起業者は児童期に学んだ『朝鮮儒教』の孝思想に基づき郷里への錦を飾らなければならなかったのである」と断じた上で、「郷里の人々は植民地被支配体験により感情的には白紙で臨めない日本に移民し、長きにわたり孝の実践を放棄した『一世』に対して寛大ではなかった。『一世』がその道徳的負目を払拭し、郷里の人々に同胞として受け入れられるためには、郷里に対して何らかの物質的貢献をしなければならなかったのである。これが衣錦還郷志向の本質であり、それは『朝鮮儒教』の孝思想からすれば人間としての責務であると考えられる」(*3)と分析している。そしてその具体例として挙げられていたのが、他ならぬ重光の「芚期会」だった。

 ただし、40年続けた「芚期会」も、重光が生涯貫いた「衣錦還郷」のごく一部にすぎない。それは「芚期会」がたいしたものではないということではない。重光が「衣錦還郷」で日本から投入し続けた資金で、資産額で韓国5位、売上高8兆円の巨大財閥を築くという偉業を目の前にすれば、祖国でのどんな貢献も姿が霞んでしまうということだ。無論、そこには日本の事業で得た利益を日本に再投資するよりも、外貨が不足し、経済が未成熟な韓国に投資する方がはるかにリターンが見込めるという冷徹な経営判断も働いていたことは言うまでもない。

 歴史をたどれば、重光が21年ぶりに再び祖国の土を踏んだのが1962(昭和37)年。日韓国交正常化がさらに3年後の1965(昭和40)年で、韓国にロッテ製菓を設立して、弟たちではなく重光自らが韓国への本格進出へ動いたのが1967(昭和42)年のことだ。これと前後して、のちに盟友となる朴正熙韓国元大統領(在任期間1963~79年)との関係を深めていく。朴の開発独裁の下で、重光は1970年代以降、石油化学、建設、ホテル、流通へと事業拡大を続け、韓国でコングロマリットを築いていった。

 重光の生涯を振り返れば、儒教思想の中で育ち、それに反発して日本に出奔しながら、日本で成功すると、今度はそれに従うという皮肉な歴史をたどったことになる。

 韓国での財閥設立の礎となる1960年代以降の日本での大躍進と、70年代以降に本格化する韓国での事業拡大については、本連載の第5回以降で詳しく説明しよう。(続)

*3 河明生「日本におけるマイノリティの起業者活動 在日一世朝鮮人の事例分析」『経営史学』経営史学会、1996年1月

<本文中敬称略>